calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< April 2020 >>

categories

archives

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2014.03.25 Tuesday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

書評・「いとしい」川上弘美−不確かなモノをそのまま過ごす時間の心地良さ

川上弘美の作品を語る資格があるほど、僕は彼女の作品を網羅して読んでいる訳ではない。



読んだものはエッセイ集の「なんとなくな日々」

なんとなくな日々


短編集である「溺レる」、

溺レる


「龍宮」はまだ読みかけだ。

龍宮


あとは、

センセイの鞄


「センセイの鞄」は知っている人も多いだろう。
確か、小泉今日子と榎本明が、40歳目前の年齢を迎えた月子と、彼女の高校時代の国語の担任“センセイ”を演じた
ドラマがWOWOWで放映されていた。

今日、川上弘美の97年の作品「いとしい」を読了した。

いとしい


川上弘美の作品は、(読んだ限りでは)
何の隠喩かも定かではない突飛な設定か、
寄る辺ない心情と寂しさが常につきまとう恋愛小説。
またはホンワカとしたエッセイに分類できる気がする。

この「いとしい」は"寄る辺ない心情と
寂しさが常につきまとう恋愛小説"だ。

登場人物は
母性より女性を匂わせる母と、
義父に育てられた姉妹ユリエとマリエ。
姉妹は成長し
ユリエは国語教師になり、
生徒であるミドリ子の兄である
露天商の紅郎(こうろう)と恋に落ちる。
そしてミドリ子は母の元恋人であるチダさんと関係を持つ。
そこに現れる、ミドリ子を「運命の女」だと疑わない
鈴本鈴郎(すずもとすずろう)という少年が現れる。

一方、姉であるマリエは、大学の研究室でオトヒコさんという
男性を愛するようになる。
それぞれの恋愛はそれぞれの結末を迎える。

代表作「センセイの鞄」のような簡潔な恋愛でもないが
その語り口は、やっぱり、寄る辺なくて曖昧で、不確かで、
不満を抱くにはおおげさだけど、
確かでないものへの恐れが入り混じった純度のまま、日々が流れる恋愛。

『「君は山の上の火で暖まることができたあの少年みたいだね」と
 オトヒコさんが言ったことがあった。
  (寒夜に着物を碌につけず暖もとらず、ただもう一つ向こうの山の頂上  に火をたいてもらい、その火を見ることで風の吹きすさぶ
一夜を過ごした少年の話をする「オトヒコ」さん)
 「なんなのそれは」姉が聞くと
 「いやね、ほんとうは暖かくないのに暖かさを感じるっていうのが」
 オトヒコさんは答えた。
 「え」
 「向こうの山頂の火は向こうの火なんだから結局は」
 「でもよるべないといは向こうの火でも
ずいぶん嬉しいのじゃないかしら」』
 
 
 『オトヒコさんはいちいち答えたものだったかも知れない。
  君が好きだよ。
 (中略)
 大昔からいちばん好きだったのです。いつまでというのなら
 永遠であり永遠にいちばん君のことが好きなのです。
 永遠に、永遠に、永遠という言葉はたいそうこわい言葉だね。
 僕は気分がすぐれなくなりそうだ。永遠えいえんえいえん。』
 
 
『「決めたから」姉はごしごし雑巾がけをしながら、答えた。
 「何を」
 「好きでいようって」
 「なんだかわからないものでも?」
 「どんなに不確かだとしても、決めたからいいの」
 「そういうもの?」
 「そういうもの。好きになるって、そういうもの」』
 
 
《全て「いとしい」から抜粋》
 
 
きっと川上弘美は「確かなもの」なんて、微塵も信じていないのだろう。
愛でも恋でも、その他のことにも。
川上弘美の作品の中で登場人物たちは
不確かに出会い、不確かに愛し合い、場合によっては
その理由も不確かなまま別離する。
自分と自分を取り巻く行方が変貌することを
強く望んでいる訳でもなく、
強く拒絶するわけでもなく、
ただ移ろう景色の中で、それなりに納得し
日々を過ごす。

しかし、そこには投げやりな空気も
悲嘆や虚無感といった類のネガティブなものはまるで含まれない。
日々はあくまで日々として流れる。
多分、川上弘美にしか書き得ない空気感だと思う。

余談だが、僕は川上弘美の性描写が好きだ。
「いだきあう」とか
「からだを漂わせてたわみ広がろうとする」だとか。

書評・「スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化」辻信一 「スロー」を実践する困難さについて

先に書いておこう。


僕は2004年6月初版の
この本のことを嫌いではない。
むしろ、読み返したい箇所があるページの隅を折った箇所の数は
まあまあの数になるはずだ。

「スロー」とは遅い、ゆっくりの意味。
転じて、「留まること」、
「"効率"・"消費"・"スピード"重視の社会から
 自分のペースの生活を取り戻すこと」。

スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化
スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化

が、しかし。

例えば、スローライフと至近にあるコトバ、「スローフード」。
広告とマーケティングにレイプされつくされた感がある言葉。
(筆者は一応、終章においてその状況に対しする認識があるようだが)

金にあかせて、産地直送無添加の高価な食材で構成された
食卓を謳歌する鼻持ちなら無いスノッブ。
僕はそう思っていた。
もしスローライフとその至近の言葉「スローフード」、そしてエコロジー
がスノッブではないとすれば、それは宗教に似ている。

ハードなエコロジストと、カルトの間には
ある意味では差はない。
「更なる効率化」、「更なるスピード」、「更なる最適化」を
至上課題とする、大多数の人間が
日々否応なく直面せざるを得ないリアルな現状に
背を向ける、反逆者としてのカルト。

「情報セキュリティコンサルタント」の名刺を、嫌々持たされて
客先では、口先だけで数値的裏付けのない
対費用効果をおずおずと語り
無謀な線表で、半死半生のていたらくで
日々の案件をどうにかこうにかこなして
帰宅は、日付が変わるか変わらないかの時間が当たり前。
食事?食べる気ににもなれないな。
コーヒーとタバコで胃を引っ繰り返しながら
愚かにもノートPCを持って帰宅したときには、
それこそ眠気が、「〜までに、〜を、〜が満足いく形で〜する」という、
強迫観念を制するまで、モニタに向かう。
誰だ。ノートPCとVPNを発明した奴は

僕なんか、その「カルト」からみれば
最も憎むべき「背信者」だ。
たまの休日に、イタリア産デュラムセモリナ100%使用の
パスタを茹で、炒めた春キャベツとアンチョビを
オリーブオイルで和えて、一時的な「スロー」に浸っても、
免罪符はゲットすることができない。

そんなもの、一時的な自己満足だ。
そんなことをしても、オゾン層に開けられた穴は塞がらないし
(極論だけど)僕が生存して二酸化炭素を吐き出すだけで、
京都議定書の精神に反する。
牛のゲップよりは多分この世界を破壊する速度は遅いはずだけど。
(飼料の改良で対応するのだそうだ)
人間は生きているというだけで、地球を緩やかに壊す。
100年後の地球?
俺は生きてねーよ。知ったことか。
タバコをふかす。子孫への影響?
それ以前に、僕が親になる資格があるなんて
想像できないな。
(しかしこの発想は年金の破綻のツケを払わされている
 僕らの世代に跳ね返ってくる)

対象に関わらず、今生きている「俗世」に背を向ける価値観を
心情に生きていくということは
1歩間違えれば、容易にカルトとなり得るし、
90年代後半にオウム真理教の暴走を見れば、
それに対する嫌悪は否応無く高まらざるを得ない

「エコロジー」の観点から「スロー」を語る、
本書の二章から四章はそういう意味では読み飛ばしてもかまわない。
もし表題どおり、
「スロー・イズ・ビューティフル 遅さとしての文化」について
考察の糧だけを得たいのなら。
正直この部分は鼻持ちならない。

筆者はあらゆる側面から、「スロー」と対極にある現代人を危惧し
「スロー」であることの尊さを説く。(食。性。環境。etc)
環境運動家でもあり文化人類学者でもある筆者は
「エコロジー」の観点以外の切り口からも、
「スローであること」の大切さを
ある箇所では他者の引用、ある箇所では自らの言葉で
「あらゆる側面」を触れる章ごとに強調する。
心にひっかったモノを一部、記す。

『これら(3amop注:自動車、新幹線、飛行機、携帯電話、コンピュータ)
 のテクノロジーは我々をより楽にしてくれるはずのものだった。
 (少なくてもぼくたちはそう教えられ、そう信じてきた。)
 つまり骨折りや労苦の時間を省いてくれる。
 だが「浮いている」時間はぼくたちの周りには見当たらない。
 どこがおかしいのだろう。(第五章 テイク・タイム)』
 
『こうした「目的と手段」の関係から外れるのは
 「無駄」で「非効率的」と見なされるだろう。
 休むことや遊ぶことは、それ自体では時間の無駄だ。
 労働力の再生産や娯楽産業の繁栄のためになって
 初めて価値がある。
 (中略)生きているから生きている、ではすまされない世の中なのだ。
 (第六章「疲れ、怠け、遊び、休むことの復権」)』
 
『ぼくは競争をいちがいに否定するつもりはない。
 ただ競争原理こそ社会の
 基本原理だという思い込みに反対するのだ。(同上)』
 
『(米国、日本の田舎における車なしで生きることの困難さ、携帯電話、
 コンピュータがない人が強要される生きづらさを指して)
 なぜか。それはこうした新しい製品を買わなければ生活がしづらい、
 というように社会のしくみそのものをつくり直してきたからだ。
 (第九章「住み直す」)』

僕は上記の文章や、その他の箇所には、大いにに同意する。
そして「スロー」な生活を自らのものにしたいとも思う。
本当だ。

しかし、命題は相も変わらず僕の目の前に存在し続ける。

『金トカ、世間体トカ、キャリアアップトカ、自己実現トカ、全部捨テテ、
 「スローライフ」ヲ実践デキル勇気ガ、本当ニアルノ?ソシテソレハ可能 ナノカ?』
 
その問いを肯定するには僕はまだ若い。いや歳を取りすぎたのか。
その命題が僕のなかで解決されない限り
「スロー」は「スノッブ」のままであるだろう。
残念ながら。

書評・「最新コンサル業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本」廣川州伸 「メシノタネ」ゆえの不透明感

猫も杓子もコンサルタントを名乗る御時世。


(僕も情報セキュリティコンサルタントとの名刺を持たされていますが、
 当然「杓子」です)
コンサルタントって何?という
ボーダーなり基準が分からない人が大半だろう。
「客に解決策を与える」のが、コンサルタントの定義なら
「営業」の名刺を持って客先を飛び回っている人だって
立派な「コンサルタント」だ。
いまや不動産屋の看板にだって、「コンサルタント」の文字がある。
僕にはコンサルタントがコンサルタントたる由縁が、
さっぱり分からないし今でも分からない。
 
最新コンサル業界の動向とカラクリがよ~くわかる本―業界人、就職、転職に役立つ情報満載
最新コンサル業界の動向とカラクリがよ~くわかる本―業界人、就職、転職に役立つ情報満載
 
を読んでみた。
 
まず2005年現在で、2004年12月のNECによる
アビームコンサルティングとの提携まで
キャッチアップしている「最新情報度」は
書籍としてはかなり鮮度が高いだろう。(発行日は2005年3月)

コンサルタントとして必要なスキルに関しても
大項目レベルではあるが、広範囲に渡って言及している。
ゼロベース思考。
ブレスト。
プレゼンテ−ション。
「コンサルタント」がする仕事のイメージは
輪郭なりとも掴めるかも知れない。
現在、コンサルティングファーム(会社)が最前線で抱えるテーマにも
言及している。
そして代表的なコンサルティングファームの概要紹介。
(ファーム間の差異と特徴はややぼやけていた印象がある)
 
上記のような情報を知りたいのなら
本書かなり参考になる本だろうと思う。
 
が、しかし。
もうこれは仕方のないことなのだが
コンサルタントのコンサルタントたる由縁となる「解決策」の
具体的例や、方法に関する記述は非常に少ない。
そりゃそうだ。
だってメシノタネだもの。
コンサルタントとしてやっていくための秘中の秘だ。
他の本もそんなものだろう。(僕が不勉強なだけかもしれないが。)
結局、コンサルタントたろうとする者は
自分の所属する会社や今携わっている仕事からしか
具体的な「解決策」は得られないのだろうか。
(個人的には「解決策」を公表しても実行力において他社との差異が図れれば、
 記述があってもいいと思うのだけど)
 
ちなみに過去にはこんな本も読んだ。

コンサルティング・ハンドブック
コンサルティング・ハンドブック
デロイトトーマツコンサルティング

まあまあ興味深く読めた覚えがある。

書評・「女の子ものがたり」(西原理恵子)−返らない日々。諦念。

以前取り上げた、「上京ものがたり」の前編にあたる作品。


若き日の西原理恵子が漫画家としてやっていく糸口をつかみかけるまでの
回顧録が「上京ものがたり」ならば、

上京ものがたり
上京ものがたり
西原 理恵子

「女の子ものがたり」は、彼女が生まれ育った高知から
中学、高校時代を経て
上京するまでのエピソードを取り上げた作品だ。

女の子ものがたり
女の子ものがたり
西原 理恵子

相変わらず、日常生活では誰もが見て見ぬ振りをしている、
人生のある時期にしか存在しない甘酸っぱい断片が
ちりばめられている。
以前にも書いたが
貧しさだとか、弱さだとか、妬みだとか、
ずるさだとか、卑しさがどうしようもなく
そこにある事実と、それを省みたときの
胸を締め付ける描写。
相も変わらず秀逸だ。
 
個人的な話で恐縮だが
僕は小学校4年まで、(西原理恵子と同じように)高知に住んでいた。
そして上京してからは下町の公立小学校に通い
中学受験に失敗していやいや地元の区立中学校に通った。
色んな奴がいた。私立の学校のように、画一的な環境ではなかったように思う。
家が貧乏な奴。金持ちの奴。ヤンキー。いじめられっこ。いじめっこ。
そして親に行ってはいけないと教えられた場所や家も沢山あったように
記憶している。
差別やいじめなんかは本当に普通にあった。
傍観者のときもあったし、当事者のときもあった。
あの頃から、僕はずいぶんと歳をとった。
歳をとるにつれて、「色んな奴」はいなくなり
接点も無くなっていった。
当然だが、「色んな奴」は僕の知らないところで
知らない人生を送っているはずだ。
もはや、今会っても会話すら成り立たないような所で
お互いに生きている。
 
「女の子ものがたり」は「色んな奴」と共に過ごした
もう二度と帰ってこない日々を描いている。
 
そして他人の人生に対する諦念が胸を打つ。
そこには奇麗事など微塵もない。
 
 『その日みさちゃんのお父さんが人を殺して
  それをお母さんとお兄ちゃんが手伝ってうめて
  すぐにばれて だから みさちゃんは
  朝おきたらぜんぶなくしていた。
  (中略)
  わたしはみさちゃんが、
  もう絶対にしあわせになれないんじゃないかなって思ってる。
  だって私のまわりの人達でこうゆう事があった人って
  みんな必ずもっとひどい人生をおくるんだもん。』

書評・「初対面の教科書」(「おちまさとプロデュース初対面の教科書」をつくる会)−実践的「初対面作法」とは?

まず、イラストレータ白根ゆたんぽ氏
のイラストがほくそえみを誘う。文章で表現できないのが残念だ。




初対面の教科書
初対面の教科書
「おちまさとプロデュース初対面の教科書」をつくる会

コンサルタントの名刺を持たされている癖に、
僕も「初対面」は本当に苦手だ。
口数と愛想笑いだけはギネス級の、営業担当者という名の
口入れ屋に、名刺持たされ、言われるがまま客先へ。
机をはさんで、「何だ?この若造は?」と言わんばかりの
オキャクサマ。
仰るとおり。僕もあんたの立場ならそう思う。
しどろもどろで挨拶をしながら名刺交換。
そしていきなり、聞いたことも見たこともない案件の
途中経過が、知らない奴は黙っていろとばかりに
白熱して展開。
目配せする、営業。
「会話に参加しろよ」

・・・できねーよ。。

今の会社に入社してからの「初対面」なんて
そんなのばっかし。
まあ、所詮常駐コンサルという名の、客先ドブさらい部隊など
こんなもんだ。
理想的な初対面など、なかったなあ。

さて、本書「初対面の教科書」は、こう説く。

誰しも緊張するのは当たり前で、
でも初対面に失敗する人はアガりやすい。
軽く挙動不審な自分を省みて、ヘコんで苦手意識を持って
次の初対面でも及び腰になって。。の悪循環。

「初対面」という以上、初対面以降も
その相手との関係は続く。
「目標は高く、気持ちは謙虚に。」
必要以上に、プライドが求めるBESTの自分を見せようとしないこと。
本書はそう主張する。

確かに心構えとすればそうだろう。
で?具体的には何をすればいいの?

相手とのスムーズな会話を行うため、「ネタ」を8つ用意すること。
相手について知りうることの「情報」、相手との共通点「偶然」から
ネタを用意すること。

そうしてかき集めた
「ネタ」に関する「感想」と「リスペクト」。それが大事。

聞き上手に、(相手の話の)まとめ上手であること。

そのほかにも、本書は様々なポイントをかいつまんで記述する。
この手の本にしては、読者に読ませる気を与える類のものだろう。
(イラスト、装丁も含めて)

でもなあ。仕事の中で
初対面なんて「ネタ」を8つ探す間も与えることなく
発生することが往々にしてあるしなあ。。
抽象的ではなく具体的な内容だが、
それを実践するのはいささか困難だな、というのが読後の感想。

個人的には本書第5章「初対面裏技集」が印象的。
特に、"言葉尻強制変化"。
最後に動詞が提示される日本語の裏をかいて
例えば「私は○○○が好き・・・」とまで言いかけて
相手の反応しだいで
語尾を「なんですよ」or「じゃないんですよ」と切り替える裏技。
現場じゃないと出てこないギリギリの知恵。

夜更け。「直子」に似ていると言われることへの自嘲。

眠れない夜更け過ぎに、本なんて読むものじゃない。



よりによって

ノルウェイの森〈上〉
ノルウェイの森〈上〉
村上 春樹

なんて。その本を手に取ったことに
後悔を覚える。

読み返すのは何年ぶりだろう。
僕の卒論のテーマは村上春樹の作品論だった。
それ以降読み返したのは、さて3回か4回か。
何故だか知らないが、村上春樹の作品は拾い読みができない。
一度手を付けると、必ず通読してしまう。

昔、会社の後輩に
「ノルウェイの森」の登場人物である直子に
似ていると言われた事がある。
今となっては笑うしかない。
僕も彼女のように歪み、不安定で。

自分の人生に、そんなことが起こるなんて
思いもよらなかった。
いつか彼女と同じように、自分自身の心みたいに
暗い森の奥に消えていくのだろうか。

外が明るい。もう朝だ。

 「自分に同情するな」と彼は言った。
 「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
 〜ノルウェイの森〈下〉より〜

ブックバトンリレー。泥酔セレクション。

eBinemさんから「ブックバトンリレー」なるものが回ってきた。


以前書いた、「Musical Baton」とルールは同じらしい。

つまり、読んだ本について5冊挙げて感想書いて、5人に廻す。
OK。

しかし僕は日本文学科卒の癖に
入学したとたんに、読書をあまりしなくなった人間だ。
そして往々にして、衝撃を若い頃に受けた本は
今はその青臭い衝撃を反芻しないように、
本棚の奥にしまわれているものだ。

いい歳になったら、若い頃の感動なり感傷なり衝撃なりは
あまり直面したくないものだ。
しかし、ある意味でそれらの本は
今の僕の人生観なり、世界観なりに、Uターンを認めない
影響を与えていて、その延長として
イマノボクがあるわけで。
5冊、本を挙げていくというのは
ある意味で自己の再確認だ。

.献Д優譟璽轡腑X―加速された文化のための物語たち ダグラス クープランド


ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち
ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち
ダグラス クープランド, Douglas Coupland, 黒丸 尚

認めよう。この本は青臭い。
アメリカの60年代に生まれたポストベビーブーマー世代を描いた
90年代の青春小説。
章ごとのタイトルがいい。

「三十歳で死亡、七十歳で埋葬」
「太陽はあなたの敵」
「買物は創造ではない」

世間が「ヨシ」とした"お約束"から降りて
都会を逃げ出し砂漠のバンガローでコミューンじみた
生活を送るアンディとその仲間。
物語の軸はそんな感じ。

ある日、
アンディの弟である、バブル(泡)に生きているタイラーは
そんな生活から降りた兄であるアンディに言う。

 「とにかく僕を置き去りにしないでよ。それだけなんだ。わかってるよ。
 −僕が人生のあれこれを楽しんでいるように見えるとか何とか。
 でも、いいかい、気持ちは半分しか向いていない。
 ぼくの友達やぼくに濡れ衣を着せるのはいいけど、
 誰かが多少なりともまともな選択肢を示してくれるなら、
 一瞬にして、こういうのはやめて見せる。」
 
世間が「ヨシ」とした"お約束"から降りたアンディに
僕は嫉妬を覚え、そして今も相も変わらず
タイラーみたいな焦燥を抱いている。


▲薀ぅ奸Ε▲侫拭次Ε乾奪 ダグラス クープランド
ライフ・アフター・ゴッド
ライフ・アフター・ゴッド
ダグラス・キャンベル クープランド, Douglas Campbell Coupland, 江口 研一


ごめんなさい。またもやダグラス クープランド。
絵本のように愛らしい装丁とは
裏腹に、切ない物語。

「人は、人生で最も大切な記憶を30歳までに体験するものらしい。
 それからはただ、一杯になったコップから記憶が
 溢れ出てしまうようなものらしい。
 真新しいたいけんでさえ、同じ方法やインパクトによって
 記憶に焼きつけられることなどほとんどなくなってしまう。
 飛行機の中で、素っ裸のまま、
 ダイアナ妃と一世にヘロインを打っていたとしても、
 高2の春に、テイラーん家の
 ガーデン・ファニチャーを庭のプールに投げ込んで警察に
 追っかけられた時の、あの感覚には勝てっこない。そうだろ?」

ニッポンに生きていた僕にとっても
リアルな喪失感。感動の磨耗。
 
 
人間失格 太宰 治

人間失格
人間失格
太宰 治

ノーコメント。
ただ人と自分への不信を確信した高校時代の僕は
二日ほど高校をサボって
煙草を吸い、図書館に居座り
餓えるように
自分を救い上げる何かを探していた覚えはある。

ちなみにこの頃は
筋肉少女帯の「踊るダメ人間」などを聴きながら
通学していた。
誰しもそんな時期があるはずだ。
いや、あって欲しい。
挫折と自己懐疑と自己嫌悪なくして
何が「若かりし頃」だと。
 
 
ぅ離襯ΕДい凌后‖湿綵媼

ノルウェイの森〈上〉
ノルウェイの森〈上〉

ノルウェイの森〈下〉
ノルウェイの森〈下〉
 
僕の卒業論文は村上春樹の作家論だった。
もう何も語ることはない。
(少なくとも)僕にとっては名作。
そうだ。
この頃から僕が文学に期待する、要素は
「喪失感」なのだ。魅入られるのだから仕方がない。

確かなものなど何一つなどない。
僕は損なわれ続け、喪失し続ける。
それが大学時代から今に至るまでの、僕の哲学じみたものだ。
当然ながら、「ノルウェイの森」以外にも

「羊をめぐる冒険」

羊をめぐる冒険 (上)
羊をめぐる冒険 (上)
村上 春樹
 
羊をめぐる冒険 (下)
羊をめぐる冒険 (下)
村上 春樹
 
そして「ダンス・ダンス・ダンス」
 
ダンス・ダンス・ダンス〈上〉
ダンス・ダンス・ダンス〈上〉
村上 春樹
 
ダンス・ダンス・ダンス〈下〉
ダンス・ダンス・ダンス〈下〉
村上 春樹

の合計三部作は、外せない。
 
 
イい箸靴ぁ\郛綛鞍

いとしい
いとしい


読んだのは結構最近。
そう。彼女の文体が僕は好きだ。
川上弘美の作品の中で登場人物たちは
不確かに出会い、不確かに愛し合い、場合によっては
その理由も不確かなまま別離する。
そんな世界観が好きだ。


さて、バトンを渡す相手。
5人か。

。稗味未如■庁錬丕鼎如⊂錣望,舛砲い、疲れた切った頭脳何度も立ち上げ
 知恵の輪を解き続ける「思考遊戯」氏。(http://blog.livedoor.jp/siko_yugi/)
ビガビガ。

基本的に酒と男と音楽と阪神タイガースと名乗る、
 今後期待大のFUNKY新進フィメールブロガー「BNFM」さん。(http://blog.drecom.jp/bnfm/)

5事を一度読み出したら必ず最後まで読ませる
 Mr.ダンディズム。そんな大人になりたいさ。
 「lithium」氏御大。(http://lithium.ameblo.jp/)
 
じ飢饉劼梁臉菁據
読書傾向が似ていると言ってくれた覚えがある「JING」氏。(http://homepage3.nifty.com/hikarabi/)
 
ゥ札譽屬妊泪瀬爐噺世Χ舛だけで、フラフラするぜ。マダーム「Madame K」。(http://blog.livedoor.jp/chezmmek/)

人の本棚を覗くのは
すごく楽しみだ。

東京疾走@SR400(ぶんぶん丸)

昼食を終えた後、ふと外に出る気になる。


なんだか話題になっていて興味を抱いた、

マンガ嫌韓流
マンガ嫌韓流

を探しに。
愛車SR400「ぶんぶん丸」(BNFM さんの案を暫定採用。まだまだ名前募集中。)にまたがる。
まずは大井町の大型書店へ。

「在庫がありません」

やはり、ネットで確認したように
売れ行きはすごいようだ。
諦めて、次の書店を探す。
山手通りに出て五反田の某書店。

「売り切れです」

汗をダラダラかきながらバイクをキックする。

別に発禁本を入手しようと言うわけではないのだが
この流通状態の悪さは何だろう。
正直、本一冊でこんなに入手に四苦八苦しているのは初めての経験だ。
桜田通りから白金交差点で左折。
恵比寿駅内の大型書店へ。

「在庫切れです。入荷日も未定です。」

まじすか。
ゼエゼエ言いながら、バイクにまたがる。




仕方ない。渋谷に出てみよう。
明治通りを経て、渋谷に出る。
ここなら大型書店が数軒ある。
一冊ぐらいなら。。。。。

旭屋書店。
ブック1ST。

「売り切れです」
「入荷日は未定です」

そんなに人気があるということは
初版部数が少なすぎるか、論理的突破口を見出せずに
くすぶる反韓感情を持つ人間が、出版社の予想以上に存在したのか。

暑さと疲れで呆然とする僕は、ブック1STでそんなことを考えながら
佇む。冷房が涼しい。

僕はいつも本屋に行くと
これからの自分に有益な本しか
買うべきではないという考えに取り付かれてしまう。
いつからだろうか。
ある意味で「読書好き」ではなくなって
本屋が、あてもない自分探しの場所になってしまったのは。

キャリア構築、プレゼン技術、話し方、セキュリティ、投資信託、
企画書の書き方、個人情報保護法、足りない技術知識、コンサルタントとは?
マネジメントetcetc。。。。。。。

本当はうんざりしているはずなのに
僕はそれを止められない。
読書が社会的に有意義なものであるべきだという、思い込みを
捨てたいのに僕はついこんなものを買ってしまう。

うつ病を自分で治す実践ノート
うつ病を自分で治す実践ノート
高田 明和

。。無為に過ごすことができ、それを慈しむ耐性と安らぎが欲しい。
なのに、こんな本を買ってしまう自分を笑え。

結局、
マンガ嫌韓流
マンガ嫌韓流

は、どこにもなかった。
しょうがない。Amazonで注文するか。。。


書評・「マンガ嫌韓流」−「モヤモヤとした不快感」への処方箋か?

僕が、一部韓国人の言動に違和感を覚えたのは
2002年の日韓共催のワールドカップからだろう。


別に普段は僕はサッカーなどに興味はなかった。
ただ世界を舞台に、ニッポンがどこまで行けるのかを
応援していた程度のものだし、
ナショナリズムというには、かなり素朴だっただろう。

サッカーの素人である僕から見ても、ワールドカップでの
韓国の試合はひどいものだった。
参考:http://www58.tok2.com/home/letsgokorea/
   http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/8562/002e_beta.swf

韓国チームのラフプレイは目を覆わんばかりのものだった。
そして韓国サポータの非常識な振る舞い。
嫌悪感は抑えることができなかった。

そして日本の主要メディアは、(記憶は定かではないが)
全くといっていいほどそれらを報道しなかった。

そしていつ果てるとも無く繰り返される
韓国の「謝罪と賠償」の要求。
教科書問題。
たまたま、その頃自宅では某朝日新聞を取っていた。
紙面をめくれば、戦中から今に至るまで
「ニッポンは悪かった」の記事のオンパレード。
今思えば、日本史の教科書だって
日清戦争以降の記述は、それと五十歩百歩だったはずだ。

近年、韓国はますます日本に対して
強硬な姿勢を取っている。日韓問題は、
僕にとってただモヤモヤとした不快感があるだけで
韓国の言い分を検証するほどの気力も時間も無かった。
当たり前だ。
そんなものは、信用に足る有識者が、正論を吐けばいい。
プロフェッショナルではない僕たちは
それをチョイスすることしかできないし
それ以外のことをする必要もない。

マンガ嫌韓流
マンガ嫌韓流

を読んだ。
初版部数が少なかったのか
もしくは予想以上に売れているらしく
散々探し回った末に
amazonで購入したのだが、「発送には4〜9週間かかります」と言われた
代物だ

単なる漫画としては
特筆する画力でもストーリー構成でもない。
問題は取り上げられたテーマだ。

〜目次〜

◆第1話「日韓共催ワールドカップの裏側」
韓国人に汚されたW杯サッカーの歴史

◆第2話「戦後補償問題」
永遠に要求される金と土下座

◆第3話「在日韓国・朝鮮人の来歴」
在日が歩んだ歴史と「強制連行」の神話

◆第4話「日本文化を盗む韓国」
日本文化の窃盗と著作権無視 パクリの実態

◆第5話「反日マスコミの脅威」
日本を内側から蝕む反日マスコミのプロパガンダ

◆第6話「ハングルと韓国人」
自称「世界一優秀な言語」ハングルの歴史と秘密

◆第7話「外国人参政権の問題」
外国人(=在日韓国人)が参政権を持つということ

◆第8話「日韓併合の真実」
朝鮮の近代化に努めた日帝36年の功罪

◆第9話「日本領侵略――竹島問題」
互いに領有権を争う日本と韓国 それぞれの主張

◆エピローグ「日韓友好への道」
◆特別編「冬のソナタと韓流ブーム」

◆コラム
「外が見えない可哀そうな民族」西尾幹二
「反日マスコミと韓国」西村幸祐
「自虐と嫌韓――嫌韓厨・考」大月隆寛
「竹島問題とは何か」下條正男


本書の帯曰く
「あまりにも危険すぎて各社に出版拒否された問題作!」

ごく真っ当な(日本側の名誉と利益を援護するための)を
主張する本のひとつであり、
日本と韓国との間で合意を得られる歴史観か否かはともかく
出版拒否されるほどの問題作とは思えない。
そして、日韓問題に対してのひとつの意見表明である、
この本に書かれていた内容と主張を
冷静に取り上げた
主要メディアはあったのだろうか。

例:
日韓基本条約と同時に締結された日韓請求権協定で、個人補償問題は消滅してるんじゃねえのかよ。
自分の国の教科書を作るのになんで他の国が介入するんだよ?
竹島問題で、何で韓国は国際司法裁判所に出てこないんだよ?

(注:別に僕は右翼ではない。)



「いいえ。日本人は反省する必要はありません」
(中略)
「だってそうでしょう。
 日本人という理由で反省すべきと言うなら
 今後生まれてくる子供も反省しなければならなくなりますよ」
(中略)
「私は、生まれた瞬間に戦前のことで反省しなければならないのですか?」
〜「マンガ嫌韓流」p122より〜

韓国が繰り返す終わりの見えない「謝罪と賠償を」の要求に
僕(または僕と同世代の人間は)、多分ウンザリしている。
そして、「謝罪と賠償」の要求に対して
何かしらの理論武装するほどの時間もない。
そんなものは専門家に任せることこそ、一般的な解だ。
僕らは毎日を過ごすだけで精一杯だ。
そもそも
「従軍慰安婦」(女性には不快感があるテーマかもしれないが)も、
「南京大虐殺」も散々、小林よしのりの"ゴーマニズム宣言"で
検証され尽くされたことだ。
(注:別に僕は右翼ではない。)

参考:慰安婦のための反日から反日のための慰安婦へ
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/ianhu.html

明治時代以降の対外政策に関する
自虐的な歴史観(アジア侵略。帝国主義。etc)の揺り返しとして
「マンガ嫌韓流」が出版され、
入手しにくい状態にまでなったことは
ある意味当然だ。それは右傾化ではない。
単なる揺り返しだ。
(注:別に僕は右翼ではない。)

「マンガ嫌韓流」p234に大月隆寛が
「自虐と嫌韓ー嫌韓厨」と題した
一文を寄せている。
以前、僕が当Blog中に、
"この国の「アイコクシン」"と言うタイトルで
書いたことと重なる部分がある。

 「まずはっきり言ってしまおう。
  われわれはどうやら朝鮮人が嫌いである」
 (中略)
  なんか知らないけどあいつらって(3amop注:韓国・中国)
  うざくね?−−そういう気分は間違いなく、
  われわれニッポン人の間に高まっている。」

「日本の戦後」の枠組みを捉える方法が
サヨク/リベラル偏向だったゆえに、
学校化した社会における優等生の世渡り作法としての
"自虐史観"が蔓延ったことを
 前提として、大月隆寛は文を続ける。

 「というわけで朝鮮人って、あるいは中国人ってうざいよねー
  今そう感じる君は
  おそらく正しい。正しいのだけれども、
  しかしその正しい分だけ同時にまた、
  その"うざい"の中身についてもう少し考えてみる責任ってやつも
  生じてくる。」

筆致を押さえろ。冷静にクールに。

「マンガ嫌韓流」は、僕から見て
いつ終わるとも知れない韓国からの
「謝罪と反省」、「度を過ぎた敵意」に対する
反論のテンプレートであり
感情のまま、"うざくね?"と言っているよりは
よっぽどこの本を読んでいる奴の方がましだ。

そして、プロフェッショナルではない
歴史家でもなんでもないただのニッポンジンで、
なおかつ何故韓国に対して
(僕はこの文で「一部韓国人」との表現を使用しているが「韓国人」と総称して批判はしていない。)
「モヤモヤとした不快感」を催すのか。

「モヤモヤとした不快感」を催すのなら、
何をもって異議申し立ての拠り所となる
根拠を持つかを、
効率的に知ることができる著作だと思う。
歴史に対する言い分はどちらにもある。
韓国にも日本にも。それだけだ。

ただ、この本は「サヨク/リベラル偏向」への反動としての
側面もある。
いつか、その不安定でどちらかに振り切れそうなメーターは
正しい位置を示すのだろうか。
難しいだろう。
メーターを戻す責任は日韓どちらにあるのか。

何かの本で「どこの国だって隣同士は仲悪いんだよ」と言う表現があった。
確かに。

ちなみに"マンガ嫌韓流"への反論としては下記のURLを参照のこと。

http://d.hatena.ne.jp/rir6/searchdiary?word=%2a%5b%c3%a6%a1%a6%a5%de%a5%f3%a5%ac%b7%f9%b4%da%ce%ae%5d

http://d.hatena.ne.jp/claw/20050727#p1

http://d.hatena.ne.jp/claw/20050718#p2

http://d.hatena.ne.jp/claw/20050728#p1


反論の反論
http://blog.goo.ne.jp/misirin/e/d19c91f7bc13e03d49f7ee132541c9e0


人の数だけ歴史観がある。
2chで、延々日韓関係を論じるためのデータと反証を
探し回り、ソースを出せと言われたら
公文書を漁り、
論争を挑んで勝った負けたと
騒ぐほど、僕たちは暇ではない。
そうだろう。
所詮、殴られたら殴り返すだけの最低限の
準備しかできない。

繰り返すが僕は右翼ではない。
ただ、自分の住むクニが
不快感を催す批判を受けているのなら
それなりの根拠を持って反論したい。
それだけだ。
"マンガ嫌韓流"を購入した理由もとどのつまり
そこに帰結する。
「モヤモヤとした不快感」を、自分が割ける時間と手間で
説明できる著作を選んだ。
それだけだ。


「でも本番っていつ始まるんだ?」by穂村 弘

会社の健康診断に行く。


ここ数日、怠惰と無気力で昼夜の境無く
眠っていたので、バイクに跨るのも憂鬱だ。

診断する場所までは、桜田通りをまっすぐ行って
虎ノ門で左折すれば良いだけなのに
何故か皇居の前まで出てしまう。

時間ぎりぎりで間に合う。

レントゲン。
採血。
視力検査。
体重・身長測定。
検尿。

こんな身体的な検査が今の僕に必要だとはとても思えない。

会社の人間に会うのが億劫で、仕方が無いので
そそくさと検査を終えて帰る。
青山通りに出て国道246へ。
青山ブックセンターで本を探す。

散々迷った挙句に、

本当はちがうんだ日記
本当はちがうんだ日記
穂村 弘

を買う。
歌人らしい。

帯の文言に魅かれる。

「今はまだ人生のリハーサルだ。本番じゃない。
 そう思うことで、私は「今」のみじめさに耐えていた。
 これはほんの下書きなんだ。いつか本番が始まる。
 そうしたら物凄い鮮やかな色を塗ってやる。
 塗って塗って塗りまくる。
 でも本番っていつ始まるんだ?」
 
モラトリアム的な考えだと分かっていても
それを笑い飛ばすことは、今の僕にはできない。


<< | 2/6PAGES | >>