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  • 2014.03.25 Tuesday
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Talk About RELIGION......

あいも変わらず僕はいんちきクリスチャン。


文句があるなら、自我も芽生えない小学校三年に、
ただ母がクリスチャンだから、
それだけの理由で「信者」たる存在にした母にどうぞ。
じゃあ、なぜ今も教会に行くって?
幾人かの親しき友人と、幾人かの敬愛する先輩がいて
幾人かのおバカで可愛い後輩と会いたいだけさ。
少なくても今の所は。
では、文句のある人に問う。
「信者」じゃなきゃ、その門をくぐれない宗教団体は、
意味はあるのか?機能するのか?
「献金」だか「お布施」だか、呼び名は様々だが
団体の維持に不可欠なのは、非営利・営利を問わず
「オカネ」と言う一面に目を伏せないで、
それでもなお、奇麗事を言えるのならば、
もはや論議を尽くす意欲は欠けてしまう。
是非、自分を鏡で見て欲しいものだが。
「献金」だか「お布施」を払えば何をしていい訳だなんて、
毛頭思ってはいない。念のため。
そして、価値観の異なる他者を排除し始めたいのなら
どうぞ、GO TO YOUR カルト WAYS.
せいぜい、尖らせた傘で毒性の物質満タンの
ビニール袋を刺さないように。

今日も礼拝(カトリックで言うところの「ミサ」)に参加し、
ダラダラと友人と気が触れたような会話を楽しみ、
いつの間にやら15:00。
友人K.R(神学校生)が参加する屋外での日曜学校に巻き込まれる。
終われば16:00。
今度は夕礼拝(カトリックで言うところの夕方版「ミサ」)。
最近はいつもそんな流れ。

おとなしく座ってると、
司会担当の後輩が「じゃあ、誰か"証し"をお願いします。」と言い出す。

あ。目が合う。
うそん。
まずい。帰ればよかった。

*「証し」=(前のエントリ「駄目クリスチャン地獄変。」
      でも書いたのだが僕も未だによくその定義が分からない。
      要するに「私は最近いかにカミサマとやらの存在を感じたか」を
      集った人間の前で披露するイベントらしい。
      いかにそれを僕に振ることが、的外れなことか
      お察しくだされば幸いだ。
 
「××(3amop本名)さん、聞きたいわ。おやりなさい。」
 
うそん。うそん。
悪意無き、御歳を召されたお嬢様に促される。
「悪意無き」ゆえに、最も面倒なパターンだ。
司会の後輩も、本日が司会初体験。
しかも段取りを誰も教えてくれなかったので
テンパッてたのだそうだ。
そういうことになった時の根回しの必要性とか、誰か教えてやれよ。
図体だけでかくて情報伝達の悪い、「誰かがやってくれる」病の典型じゃん。
いつから大企業病になった?

ちなみにうちの教会は、キリスト教の信徒数が日本国内に限ると
約200万人程度という状況のなかでは、かなり人的規模の大きい方だ。
僕の所属していることになっているプロテスタント(新教)以外、
カトリック等も含めてだ。おそらくは。

「証し」とやらを自発的に話したがる、"優等生クリスチャン"以外しか
夕礼拝(カトリックで言うところの夕方版「ミサ」)に参加してなかったら
誰かが「その場を取り持つために」喋るのだろう。
うるんだ哀れな後輩の目と合ったこと、御歳を召されたお嬢様の
無茶フリが勝敗を決する。


ほんっとうに仕方なく、前に出る。
壇上には立たない。
カミとやらの代理人を気取るつもりなどない。
メンツを見渡す。まあ、いいか・・・。

まず、「証し」とやらの定義を知らないことを明らかにし、
「今考えてるカミサマとやらについて」の私見をもって
それに代えさせていただくことを、確認する。
まずはアウトラインから。


「近代以降、ヒトは自分で考え、自分で道を選び、その結果を受容する」。
そのことを前提に動いてきたように思える。
それは「自我の確立」とほぼ同義だと僕個人としては認識している。
                 ~~~~~~~

「自己責任」≒「自我」。
そして、現実に社会はそう動いていると、僕個人は思う。
グローバル化なんかそのいい証左だ。
グローバル化において経済は容赦なく、個人の生活を左右する。

(例:)

「年金は払われるかどうかすら分からない。」

「野垂れ死にしたくなきゃ、自分で何とかしろ。」

「だからこの超・低金利時代に貯金だけなんて馬鹿げてる。運用しろ。」
(国を挙げての賭場開帳だ。)

「ただし、結果は自己責任だ。破産したら首でも吊れば?」


我ながら大仰だと思ったが、プレゼンの練習と割り切る。
仕事なら金でも取ってるな。


これだけ「自己責任」≒「自我」を否応もなく求められ、
今もさらに強要される時代。
例えば超・就職氷河期を、僕は誰かの助けなり助言なりなんなり、
(断じてそれが「カミサマとやら」とは実感できない。)
それと共に、何とか死なずに生きてきた。

キリスト教に限らず、宗教とは「全能の」カミサマとやらに
その程度の差はあれども自我を預けることだと個人的に考える。
                     ~~~~~~~~


この辺で、参加者のメンツの表情を見る。
どこまで、まともに聞いてるのかは知らないが
神妙な顔だ。別に期待もしていない。
話を続けよう。
アイスブレイクに司会担当の後輩へ、
「あと何分喋ればいいの?(笑)」と聞くが
「い・いや、お好きなだけ。」と、
お堅い返答。マジですか・・・。
しかし、この後の予定ではUさんの
お話があるはずだ。
そんなに時間はないはず。

しかしUさんは、つい数時間前に
 
 「取扱説明書読んで、ググって、自分の環境と問題を
 把握することもせずに"何か分かんないけど、直せ。"とかいう奴は
 氏ry」

 
という毒舌トークで盛り上がった当の相手なので、
とてもお話を真顔で聞ける自信は無いのだが・・・。


嘆息し、赤のカーディガンとマフラーを
さっきまで自分がいた席に半ば投げやりに放る。
いささか、上気してるようだ。
話を続ける。


このセカイの流れの中で、自我を預けると言うのは
「全能の」カミサマとやらが、生活保障でも
確約してくれると信じているのだろうか?


 もし神が全能ならば、「自分の言うことを聞かない女」を創造できるのか?
 可能ならば、全能じゃないし、不可能ならばやはり全能なのではないじゃないか。
 
そんな、どっかで読んだジョークでも言えば良かった。


かつて、とある新興宗教があった。
彼らは簡単に、自らの手で自我を導師に預け、
自らの手で様々な方法で、幾人ものヒトを殺めた。
「救済」という口当たりのいいコトバで、自らをごまかして。
その一連の事件について敬愛する作家である、村上春樹が
2つの著作を残している。


アンダーグラウンド (講談社文庫)
アンダーグラウンド (講談社文庫)
村上 春樹

と、

約束された場所で―underground〈2〉
約束された場所で―underground〈2〉
村上 春樹

だ。

前者・「アンダーグラウンド」は、とある新興宗教が引き起こした
テロの被害者へのインタビュー集。
後者・「約束された場所で―underground〈2〉」は、
とある新興宗教に所属した複数の(元?)信者にインタビューしたものだ。
前者に怒りを覚え、後者に暗然とした。
その読書体験、そして十代最後半の僕の宗教観に、
実際に「とある新興宗教」が引き起こした「救済」という名の「テロ」と、
その噂及び報道は大きな影響を及ぼしていると思う。
都の職員が爆発物で指を失い、新宿駅で毒性の物質が発見され、
横浜周辺でも、「次はここ(横浜だ)と言う噂」が飛び交い、
実際異臭騒ぎがあった気がする。曖昧な記憶だけれども。
音楽雑誌のコラムで、「この危険な噂が飛び交う中、敢行した」、
とあるクラブイベントのレポートがあった覚えがある。
「命知らず」とまで評されていたはずだ。
クラブという密閉空間の中、尖らせた傘で
「毒性の物質満タンのビニール袋を刺」したら、
さぞ、多くの「救済」が達成されたことだろう。
だからこそ、自らの手で自我を預ける「宗教」は、
危険かつ、生理的に警戒するのだ。

時計を気にしながら、青臭い話は続く。
結論を探しながら。

「キリスト教」もまた然り。
(神の名のもとに別の神の子を殺めた十字軍は?)

そして、「キリスト教」特有の(僕が感じる)矛盾を話す。
ダーウィンの進化論を無視して、アダムとイブが最初の人間?

偶像礼拝を禁じながら、カトリックの仰々しさはなんだ?
(聖母マリア信仰は、「偶像礼拝」じゃないのか?)
(処女懐妊?人工授精か??)

プロテスタントもそう。この教会も。
偏見だが、壇上に立ち「カミの代理人」を体現するような形式は
広い意味の偶像礼拝に繋がらないか?
一拍間を置き、わざと壇上に立ってみる。
我ながら芝居がかってるな。

神のもとに命は平等?
生まれた瞬間、臓器のパーツ取りのために
その命を奪われる子供の命に、「平等」は存在するのか?
その命の意味は?
「神の御業と御意思」?
ほら、自らの手で自我を預けてる。
だからそれが怖いのだ。

「キリスト教」は「自栽」を禁じる。
何故なら、「カミ」から頂いた命だから。
命の掛け替えの無さそれ自体は、賛成だ。
しかし、最近まで耽溺しつつもウンウンいいながら読んだ
早逝した池田晶子なる才色兼備の
哲学文筆家は、別のアプローチでそれ(「自栽」)に、
疑問を呈する。

41歳からの哲学
41歳からの哲学
池田 晶子

 (要約)
 人間は「自栽」する唯一の生き物である。
 それは人間が観念としてのそれ(「死」)を持つからだ。
 しかし、実際にそれを体験するまで「観念」でしかない。
 「観念」は「観念」でしかない。
 「自栽」を求める時、ヒトは今の状況から逃げ出したいと
 考えるからだろう。
 しかし「自栽」への恐怖は変わらない。
 そしてヒトは、「死」を「無」と捉えているが違う。
 ならば何故ヒト亡き後に、
 墓参りをしたり、ココロのなかで語りかけるののか?
 
 (略)
 そして「自栽」によって「無」になる、そのことが
 すなわち楽になると考えている。無は文字通り「無」なので
 「楽になる」になるという主体も本来無いはずだ。
 だから死ねば楽になるという考えは矛盾している。
 
 (略)
 せめて死ぬ前くらいはまともに物を考えたらどうか?
 「無」はなにもないからこそで「無」であり、
 「無」が存在すると考えている時点で、
その矛盾に気がつくべきなのではないだろうか
 
 
僕は頑固で理屈を重んじる性格だ。
だから今はそのようなアプローチを好む。
未だに整合できないこの雑感を、"もし"「証し」とやらに
代替できるのなら。と、最後に言い、
早々に退散する。
御歳を召されたお嬢様が言う。
だいぶ、敵に回した人間が増えた気がする。
あー、うぜえ。


「若いうちはみんなそうなの。」

「御歳を召されたお嬢様」が言う。

・・・・・・・・・。
いや、そういう一般論でラッピングされても。
新年早々、宗教論で御老輩と争う気はない程度には
大人なので、曖昧な笑みで誤魔化しその場を風のように退却。
しかし思いは、(今の所)山の如く動かず。


家に帰って、2008年1月6日の日本経済新聞の朝刊(14版)の
広告を見る。
島田 裕巳(しまだ ひろみ)の著作
「日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)」の
広告が目に飛び込む。こめかみが痛む。

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書 し 5-1)
日本の10大新宗教 (幻冬舎新書 し 5-1)
島田 裕巳

始めに断っておくが、読む気もない。
第一、新書は好きじゃない。
たいてい、大仰なテーマの割には内容が薄い。
しかし。
幻冬舎が打った広告だから、
そのコピーに著者に文責はないのかもしれないが、
 
 「本書を読めば日本という国の特質が解る。」

・・・・・・・・・・。待て。
 
 
 <目次(?)>
 はじめに;
 天▲教;
 ▲本;
 生▲の家;
 天照▲▲神▲教と璽▲;
 立▲▲成会と▲友会;
 創▲▲会;
(まずは政教分離って何だか教えてハアトン。)

(略)

 おわりに



「とある新興宗教」による宗教観の変化はスルーですか?
日本人の宗教観にかなり大きな悪しき影響だったと思うが。
行きつけのバーの女性店長はその時期、サリー(インドの民族衣装)を
着て、街中を歩くだけで不快な思いをしたのだそうだ。
以下、著者である島田裕巳http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E7%94%B0%E8%A3%95%E5%B7%B3)より。
専門は現代宗教論なんだそうだ。

>幸福の▲学への批判は、関係者の反発を招き、
>同教団の刊行物で事実上の特集が組まれたほどであった。
>その一方、同時期に注目されていた「とある新興宗教」
>(注:3amop加筆) に対しては、
>通常の宗教学者同様にそれほど批判の矛先を向けなかったことから、
>相対的に同教団を擁護しているような印象を世間に与えることとなった

>1995年1月25日に島田は「とある新興宗教」(注:3amop加筆)を単独取材し、
>『宝島30』1995年3月号の特集「徹底検証!オ▲▲真▲教=サ▲ン事件」
>(注:3amop加筆)の中で、同施設が「神聖な宗教施設」であるとする
>記事を発表したことである。
>その発表からまもなくして、
>地▲鉄サ▲ン事件(注:3amop加筆・1995年3月20日)が発生し、
>その後の強制捜査で同施設にサ▲ン製造プラントがあったと明らかにされた。

「地▲鉄サ▲ン」より。

地▲鉄サ▲ン事件の事件から2日後の3月22日に、警察による強制捜査。

公証役場事務長拉致事件、弁護士一家殺害事件・・・・・。

「地▲鉄サ▲ン」より、さらに引用する。

>上記((注:3amop加筆)疑惑追及の動きが高まり、
>警察の強制捜査があることを察知した
>「導師」(注:3amop加筆)は、強制捜査の直前に大規模なテロ事件を起こせば、
>警察の捜査の目を逸らすことができると考え、
>朝の通勤時間帯で混雑する地下鉄内でのサ▲ン(注:3amop加筆)の
>散布を信者達に命じた。


もはや「救済」ですらない。単なるカモフラージュを目的とした
凶悪テロだ。


「専門は現代宗教論」とは言え、すでに松▲サ▲ン事件が
「とある新興宗教」との関係を取りざたされた
1995年1月25日時点で施設を訪問し、


>同施設が「神聖な宗教施設」


と結論付けるのは「アリ」か?
それは当局の判断の範疇ではないのか?
「神聖な宗教施設」の根拠も、今では調べる術を知らない。
「松▲サ▲ン事件が「とある新興宗教」との関係を取りざた」されている時期に
もし宗教施設としての表層的な建築構造やオブジェのみで
もし判断したのだったらそれはいささか、いささか配慮と巨視的視点に
欠けている感を拭い切れない。

『宗教学者を辞めろ』とまで、エキセントリックで
過剰な正義感を振り回す気はない。
(あくまで)結果として、彼は


>教授に昇格したばかりの大学を辞職


したのだそうだ。


島田氏は十分過ぎるほどの社会的なペナルティを受けている。
その点に言及はしない。
ただ、「とある新興宗教」を生み出した土壌は「日本という国の特質」と
本当に関係ないのか?僕にはどうもそうには思えない。
この国特有の宗教への無関心が、「警戒」に変わっただけでも
社会的な大きなターニングポイントだったはずだ。
一時期、僕ですら「キリシタン」と公言するのをはばかられる空気があった。
いや僕だからか?
が、しかしこの著作にはその視点が(目次を見る限りでは)
ないようだ。
ただし、キリスト教だって数千年前は「新興宗教」として
迫害を受けた歴史がある。
どんな、宗教だって時間を経ない限り「新興宗教」だ。
だから一概に「新興宗教」を否定するつもりもないし、
それは個人の信教の自由だ。



amazonの「カスタマーレビュー」では、好評らしい。

>最も参考になったカスタマーレビュー

> 25 人中、19人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

たった、十数年前のことだぜ?
連日、糞みたいなワイドショーまで興味本位の癖に
正義面して「とある新興宗教」を叩きまくってたのは?

詳しくは↓をどうぞ。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE10%E5%A4%A7%E6%96%B0%E5%AE%97%E6%95%99-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-5-1-%E5%B3%B6%E7%94%B0-%E8%A3%95%E5%B7%B3/dp/4344980603


専門が現代宗教論である島田氏の、
「とある新興宗教」の事件が全て明らかになった後の
著作は(きっと)あるのだろう。
島田氏本人にとっても、重大なキャリアの転換になってしまったはずの
「とある新興宗教」はむしろ忘却の彼方に
置き去りにしたいのかも知れない。
しかし、「本書を読めば日本という国の特質が解る。」とうたうのなら
「とある新興宗教」以降の「日本という国の特質」の変化に
一章を割いて欲しかった。


あー。正月早々堅苦しい文章だ。
まじでウザいぜ。
ドン引きご容赦。



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  • 2014.03.25 Tuesday
  • -
  • 22:29
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コメント
読んでたら発作がとまりました(・∀・)了
  • bnfm
  • 2008/01/09 9:46 PM
>bnfmさん

何故ですか?ww
  • 3amop@「何故だ?w」
  • 2008/01/11 2:56 PM
発作始まってからおさまるまでに20分程度かかるのね。だいたい。読んでたらそれくらい経ってたってことだと思うのね(・∀・)
  • bnfm
  • 2008/01/11 8:32 PM
神仏習合万歳?
  • drz
  • 2008/03/26 8:09 PM
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