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  • 2014.03.25 Tuesday
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書評の長すぎた前置き・「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」穂村弘(前編)

短歌。


「和歌の一形式。五・七・五・七・七の五句体の歌。」
時代を経て、「和歌」は「短歌」とほぼ同義となった(らしい)。

前々から読んでみたかった穂村弘の歌集、

homura_tegamima
手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)
タカノ 綾,穂村 弘

を読んだ。


和歌?
・・・あれだあれ。『古今和歌集』とかだ。
高校時代の古文やらで、散々悩まされたあのジャンルだ。
当時の僕は国語(現国・古文・漢文)の成績だけは、
教科書に掲載された文豪達の写真にありったけのいたずら書きを
したぐらいしか記憶が無いほど、勉強していないにもかかわらず、
何故か高偏差値を取ることができていた。
古文なんか自慢じゃないが、当時も今も四段活用すら、覚えていなかった。
「あんなの前後の文脈だろ?」と心の中で、うそぶいていた。

漢文は・・・。レ点やらなんやら一応耳にしてたが、全部「勘」で回答してた。
「漢文」で得点しなきゃいけない必然性は、入試科目にあるから。もうそれだけ。
古文はまだしも「漢文」には、何の興味も無かった。
そんな心構えでもまあまあ配点をGETできるから性質が悪い。
(皮肉にも、浪人時代必死に勉強した英語の偏差値はなかなか上がらなかった。)

一般教育or受験対策レベルなら、それで充分だ。
もちろん、今は古文・漢文を読解せよと言われても無理だ。
昔と同じく「勉強」はして無いが、
古文・漢文には大学以来触れてもいないから
「文脈」を嗅ぎ取る鼻は、鈍ってしまった。

なにはともあれ、当時は、勉強なんざからっきししてない分際で、
成績は”国語”だけは良く、まずいことに当時の現国担当の教師の一人と、
お互いに蛇蝎のように嫌い合っていた。
つまらない諸事情で世をすねていた文系喧嘩最弱生徒は、
「天気がいいから」という理由で学校をサボって、
何故かレコ屋か図書館に行って好きな本を読むという、
こじんまりとした素行の悪さもあって、色々睨まれていた。
某ターミナル駅で吸っていた煙草を捨てた瞬間、目の前の電車のドアから
「鬼」の名をほしいままにしていた生活指導の先生が、降りてきて
心停止に陥ったが、(←この辺が小者)
何故か彼はその時は目を合わせず立ち去った。
今、考えると見逃してくれたのだろうか。

とにかくその現国教師の授業では、眠たくも無いのに
これみよがしに机に突っ伏し、この世の果てのような、
伝統だけの二流私立男子校にいる我が身を呪いつつ、
終業チャイムがなるのを待つのがその頃の常だった。

当然、ただでさえ地黒の禿頭を怒気で鬱血させた
現国担当の教師は、
〜あだ名:「ブラックインディアン」・男子校ゆえのお下品により、クリック非推奨〜 跳ね上がった語尾で僕を起こし、
教科書の一節を読ませ、意味を問う。
僕は思いっきり、挑発的な目で(主観を排して)そつなく答える。

因縁のつけようの無い返答なので、
「わかってりゃいいんだ」、とか、「寝るな」、とかの、
負けハゲの遠吠えを吐いて彼は背を向ける。
僕は鼻を鳴らして、その背を睨んで席に着く。
とてもとても、つまらない意地の張り合い。
態度も悪く、文系以外の科目の成績が、
飛行機事故に乗り合わせるぐらい絶望的な成績で
無事に進級&卒業できたのも、
高一時代の担任と日本史の先生が、かばってくれたからだ。
ありがたい。

しかし、現国は言うに及ばず、漢文ですら使われている漢字で
何となく言いたいことは分かるものだ。
しかし和歌はきつかった。
当時ですらお手上げだったんだから、
今、過去の名歌を味わえといわれても無茶な話だ。
読書家や文学好きは数は少なくても、いつの時代でもいる。
嗜好次第で、「古典」と呼ばれる作品にたどり着くこともあるだろう。
「古文」は、ともかく。。。
和歌(短歌)が、現代で大きな位置を占めることが
無いように思えるのも「古典」にたどり着くハードルが高いせいも
あるのでは。
そして、現代の第一線で活躍する「歌人」。
いるのかいないのか?
いたら、どんな歌を詠んでいるのか?
イメージするのはとても困難だ。

注:以下、和歌に関する記述は、
  3amopによる全くの門外漢からの視点による記述です。
  ご指摘などあれば幸いです。

言い出すとキリがないが、
「歌の中では直接言ってないけど、そ〜ゆ〜もんなの!」とでも
言いたげなお約束や前提が多すぎた。
例?例だと?あー、なんでもいいや。(投げやり)
例えば・・・・・・・・。



じゃあ、「新古今和歌集の部屋」から、適当にひとつ。
「卷第四 秋 歌 上」より。
 
 
    年
    を
    經
    て
    住
    む
    べ
    き
    宿
    の
    い
    け
    水
    は
     
    星
    合
    の
    か
    げ
    も
    面
    馴
    れ
    や
    せ
    
    
>*現代読み
>としをへてすむべきやどのいけみずはほしあいのかげもおもなれやせ

>*意訳
>これから何年もこの家に住まれる御庭の、七夕の星空を映している池の水も、
>この美しい景色を映しだすのも慣れていくでしょう


え?七夕だった?どこにそんなこと書いてある?
「星合」=七夕?(季語?)?
「面馴れやせ」が「映しだすのも慣れていく」って意味?
分かるわけねえよ。
そこまで「いけ水」を擬人化してるとは思いもよらない。
どこまでロマンティストなんだよ。池と喋るな、池と。
荘園の管理はどうした?
あー、浪人終わった瞬間に、
古語辞典を放り投げるように捨てるんじゃ無かった。

>*作者
>權大納言長家。
>藤原長家。道長の子。大宮、三条と号する。俊成の曽祖父。


藤原道長?
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へばハアトン」の息子?
ってことは日本史上屈指の超・ボンボンかよ。
いいな〜。(←本音)

この和歌はまだ分かりやすい方だったと思うが
いい例が出てこない。
探すのも億劫だ。
 
古今東西、ジャンルが形式化し閉鎖的になれば
いずれ衰退する。クラブミュージックだろうと、和歌だろうと。
「和歌」を見れば
僕のような門外漢でも分かる。
ましてや、「古今伝授」(「秘事口伝」と同義なのか?)、と呼ばれるような
一子相伝もどきのことをしてりゃ、広がりもジャンル内の切磋琢磨も発生しない。
 
 「古今和歌集の歌風は、後に伝承化され古今伝授(こきんでんじゅ)
 と称されるようになり、宮廷を中心とする御所伝授や、
 地下伝授・堺伝授などの系統が形成されていった。」
 「古今伝授」より

 
地下伝授。。。。
雅な寝殿造りの屋敷の地下牢。
師の手から神速で放たれる短冊の斬撃に身を切られ、血しぶきを上げながら
伝授される弟子は、季語を絶叫して暗誦でもしてたのだろうか?
是非観戦したいが、参加は絶対嫌。
中世に入り武士に実権を奪われた「貴族たち」の
「伝統文化の心のより所」となり、和歌の技巧は極められたらしい。
しかし形式に溺れ、一般化とジャンルの隆盛には至らなかった。
「一般化とジャンルの隆盛」が必ずしもいいとは思わないが、
(もし)和歌が武士に実権を失われたゆえに崩壊しそうになった
アイデンティティの維持のみへと目的が堕していたのだったのなら
そりゃ衰退もするだろう。
”オサレなワタクシ”というアイデンティティ維持のため、
ゴダールが好きと公言してる、自称・フランス映画好き。
それとあんま、変わらないな。

女と男のいる舗道
女と男のいる舗道



(注):代表作の一つであり個人的にはゴダール初体験の作品。
    映画館に当時の友人に連れて行かれて観た。
    なんとも言葉にし難い衝撃。それが感動なのかも分からなかった。
    感想を言葉にするのが難しかった。
    大変、映画・音楽に造詣の深いその女友達は、映画館を出た後、
    「(この作品観せると)みんな、黙っちゃうのよねえ」と言っていた。
    スタイリッシュな映像。安易な予定調和を許さない、混乱させる展開。
    彼の映画文法は、ややとっつきにくいかもしれないが、見て損は無いと思う。↑
    その女友達曰く、
   「ゴダールもフランソワ・トリュフォーも知らないくせに、
    ”ベティ・ブルー”観ただけぐらいで、フランス映画好きとか
    言ってる女は死んでしまえばいい。」

    ・・・僕もドキッとしました。(”ベティ・ブルー”は好きな映画ですが。)

さらに話しはそれるが、
文学科には、その場所柄か、”オサレなワタクシ”な手合いがゴロゴロいた。
ひどいのになると、「LEON」観ただけで「フランス映画好き〜。」・・・。
が、エヴァンゲリオンの再放送を観て、興奮しまくってた僕に対し、
ヲタ&PCの師匠である親友が、
「(今さら時流に乗って再放送で)流されてんじゃねーよ。」と
冷たい一瞥をくれたのもこの頃だ。

レオン 完全版 アドバンスト・コレクターズ・エディション
レオン 完全版 アドバンスト・コレクターズ・エディション



(注):いい映画だと思う。映画が好きになり出したのはこの頃だと思う。
    ジャン・レノが「チョイワルオヤジ」の代表みたいになるとは
    当時は夢にも思わなかったが。
    別にロリではないが、ナタリー・ポートマンの
    (多分、小学生くらいの分際にもかかわらず)妖艶さは
    悪魔に魂売ったのかってぐらいだ。
    (何を基準にそうなるのかはしらないが)正確には、
    「フランス映画」ではなく、フランス・アメリカ合衆国合作。↑


ゴダールの一部の作品も「LEON」も、僕は好きだけど、
他にも面白い映画は、古今東西を問わずいくらでもあるのにね。
さらにさらに話しはそれるが、
普段は、”オサレなワタクシ”に酔って、
「アタシヒトトチョット違ウ♪」な態度を取る、
スノッブ極まりない人たちまでが「タイタニック」とかいう

タイタニック (ベストヒット・セレクション)
タイタニック (ベストヒット・セレクション)

(注):個人的には宝くじが当たっても買う必要なし。↑


上流階級の世間知らずお嬢様が、
超豪華船にわざわざ持ち込んだ自前の馬車ん中で、
たまたま乗り合わせた下々のイケメソ(レオナルド・ディカプリオ)を、
哀れ瞬殺で篭絡。
今こそおハイソな鬱屈した毎日の憂さ晴らしよ!!
パンが無ければケーキを食べればいいじゃない!!
ギロチン上等!!茨城統一!!とばかりに、
一夜限りの「あばんちゅ〜る」をさんざ楽しむ。
(馬車の窓ガラスが曇るまで楽しまないでください。)
車中の、セ・リーグ/パ・リーグ頂上決戦が終わる間もなく、
船は氷山に激突。戦ってる場合じゃない。
てか、なんでわざわざイケメソ、誘導した場所が貨物室の馬車なんだよ。
超・高級客船に部屋を取るお嬢様だろ?
おめーは、そーゆーシチューションじゃないと萌
(略)
上流階級特権で、さっさと救命ボートに乗れてるくせに、
散々、駄々こねて沈没寸前の豪華客船に、無駄な大技を駆使して戻った
頭オープンリーチ状態のお嬢様を助けるため、
下々のイケメソがその姫の鎮座ましますおイカダを、
つい数時間前に夜伽のお相手を務めさせて頂いた、
その当の下々のイケメソが自ら、姫の上座されるおイカダを
極寒の海の中に首まで漬かりながら支えたあげく、
鼻水まで凍結して凍死(←注:ディカプリオ様)。
その屍を踏み台に、

がっつり自分だけは生き延び、100歳を超えるまで
安穏とした生活をしておきながら、
お迎えが近くなってから、脳内美化&再構築しまくって回想して、
「若い頃のあの燃えるような恋を、確かめたい。」などと、
棺おけに首まで漬かってるババア老嬢が、
「失楽園」レベルの思いで、過去と現在を脳内移動する、
(つくづく都合の良い生き物だ。思い出は墓場に持って逝きましょう。)
超・大予算・大興行収益・三文災害映画
は、
何故かキッチリ前売り買って観てて、泣いてたりするんだよなあ。
監督であるジェームズ・キャメロンの、 当代一のイケメソであった
レオナルド・ディカプリオに対する容赦ない演出だけは認める。
しかしこんだけ、無駄にスケールと制作費の高い
「女の●リ逃げ映画」も稀有だろう。
(注:超・偏見)
付き合わされる男の身にもなれよ。
上映時間、3時間近くあったぞ。後半はお尻がめちゃくちゃ痛くて
ラストで泣くどころじゃなかったな。
ディカプリオ様扮する役の境遇には、別な意味で泣きそうだったが。
(僕も含めて)無理やり彼女に付き合わされて、
観た野郎共は全員、ゲッソリと憔悴した顔で感想を語ったものだ。
歴史的大事故にかこつけたババア老嬢の、
大味なスペクタクル風味の脳内変換済み恋愛回顧に
全米収益は歴代最高の6億ドル。。

(゚Д゚)6億ドルッテ、何買エルノ?国?

・・・・・・全力で話しを元に戻そう。
(書いてて、つくづく自分が「タイタニック」が嫌いだったのかを思い知った。)
室町時代より派生し、江戸時代に入って短歌は、
連歌(和歌の上句と下句を交互に繋げていくもの。連句という。)を生み、
滑稽・洒脱を求めてさらに堅苦しさを嫌い、俳諧を生んだ。
連歌のフォーマット(五七五の句の後に七七の句を交互に付けていく)から
冒頭の発句(五七五)の独立性を重視する。
そしてビッグ・ネーム・松尾芭蕉の登場だ。
口語が主体になる川柳も出てくる。
今ならどっちかと言うとこっちの方が、
「サラリーマン川柳」とかいう
コンセプトで何とか余喘を保っている印象がある。
(しかし、読んでると大変切なくなる。)
唐突に江戸時代から現代に話しは飛ばしたが、もちろん、
明治・大正・昭和にかけても、「短歌」そのものは
消えてなくなったわけではない。
当たり前だが歌人は存在した。
知識も意欲も、(多分)需要も無いので省略しているだけだ。
(あと俵万智も読んでないから飛ばす。)

しかし、明治・大正・昭和にかけて活動した
種田山頭火の作品は、かなり知ってる方も多いのではないだろうか。
僕も何かを語れるほど、彼の作品に造詣が深いわけではない。
記憶が曖昧だが、週刊モーニングか何かで、彼を主題にした漫画が
一瞬、連載されていたような気がする。
新鮮なのはそのコトバの平易さ。
「歌の中では直接言ってないけど、そ〜ゆ〜もんなの!」的要素からも、
古雅な言い回しからも自由なその表現技法。


    わ
    け
    い
    っ
    て
    も
    わ
    け
    い
    っ
    て
    も
    青
    い
    山




    
    ま
    つ
    す
    ぐ
    な
    道
    で
    さ
    み
    し
    い







    
    水
    音
    し
    ん
    じ
    つ
    お
    ち
    つ
    き
    ま
    し
    た
    

「種田山頭火」より。ちなみに上述の句は3句であり、一連の文ではない。念のため。


種田山頭火は自由律俳句の重要人物なのだそうだ。

 自由律(じゆうりつ)とは、五七五の定型俳句や五七五七七の定型短歌に対し、
 音数にとらわれない主張、またはその作品。
 (略)文語や「〜たり」「〜けり」「〜かな」などの古典的な言葉遣いを避け、
 現代口語で表現するということも特徴の一つである。
 (「自由律俳句」より)



結構。現代口語は大歓迎。
でも、「それって、もう短歌じゃないじゃん」?
かも知れない。
僕も何となく、季語があって五七五七七。
それが短歌の条件だと思ってた。
「散文詩」と捉えた方が、先入観が無くていいかも知れない。
 
 「散文詩」=散文(韻律や句法にとらわれずに書かれた文章)と
       詩の境界に位置する文章。
       この定義も相当面倒臭そうなので深入りはしない。



そして、穂村弘は「自由律」の”歌人”だ。
「散文詩」だろうが「自由律」だろうがどうでもいい。
それは形式であり、もっといえば形式の名前に過ぎない。
そのコトバが読み手の胸を刺すチカラがあるから、
だからこそ、「穂村弘」という"歌人”は、敷居の高いジャンルを超え、
僕に歌集なるものを手に取らせたのだ。

 「現代の第一線で活躍する『歌人』。
 いるのかいないのか?
 いたら、どんな歌を詠んでいるのか?
 イメージするのはとても困難だ。」

僕はそう前述した。
乏しい知識とせまい嗜好ではあるが、「穂村弘」が僕にとっては
それだ。

・・・気力があるときに続く。長すぎる前置き&大蛇筆が大いにたたる。
   ぶっちゃげると、「タイタニック」のくだりで、無駄に死力を尽くした。。
   馬鹿丸出し。


JUGEMテーマ:気になる書籍


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  • 2014.03.25 Tuesday
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  • 15:55
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コメント
明治天皇御製
   をりにふれたる

むかしより ためしまれなる 戦に おほくの人を うしなひしかな

(明治38年)
  • drz
  • 2008/03/26 6:26 PM
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