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  • 2014.03.25 Tuesday
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この国の「アイコクシン」

中国で反日デモが激化している。



外相、再発防止を申し入れ 北京の反日デモ (産経新聞)

 町村信孝外相は10日、外務省に中国の王毅駐日大使を呼び、
北京市での9日の反日デモで日本大使館や日本料理店などが投石を受け、
窓ガラスが割れたことなどに対し「一連の破壊活動は誠に由々しき問題だ」と抗議、
正式に陳謝と被害への賠償を求めた。
同時に日本人の安全確保と再発防止も要求、
王大使は「法律に従って日本人、日本企業の安全を確保していく」と述べた。

 町村外相は17日にも北京で李肇星外相と会談する方向で調整しており、
その場でも中国側に再発防止を求めることになりそうだ。

 外相は会談で王大使に「一応、警備態勢はとられていたようだが、
現実に破壊活動を止める行動が行われなかったという意味で
有効な警備が行われていなかったのではないか」と指摘した。

 これに対し、大使は「過激な行動については政府も認めていないし、
目にしたくないことだ」と強調。警備についても
「関係方面に大量の警察を動員し秩序の維持に努めた。
今後も過激な行為を阻止するよう最大限努めたい」と釈明した。


TVで見る限り、日本製品排斥を叫びながらその様子を
どこかうれしそうにデジカメで撮影するデモ参加者は
SONY製品を使っていた。
どこまで本気だか分からない。
参加者の一部は、お祭り騒ぎがあったら
何でも飛び込むフーリガンと大差がないのかもしれない。

昔、「ゴーマニズム宣言」を拾い読みしていたせいで
僕は南京大虐殺の真偽にも、
従軍慰安婦問題に対する日本の責任にも
懐疑的だ。
教科書だって、「自分の国が悪い悪い悪いんです」と
ばかりいうものが、いいものとは思えない。
乏しい歴史認識だけど、今の歴史が評価する
日清戦争から韓国併合、満州、太平洋戦争への過程は
「遅れてきた帝国主義国」ゆえの道義的不利を
常に背負っている気がする。
インドを植民地化していたイギリス。
アメリカだって昔は似たようなもんだったろう。
要は、負けたからだ。
東京大空襲を行った国に
いかんともしがたい状況の中での決断の上、
戦争に至った国家の要人だった人間を、
東京裁判で一方的に「戦犯」を仕立て上げて
絞首台に送る資格なんてないはずだ。
 
自分の世代がした訳でもないのに、
自分の国だけが行ったわけでもないのに
60年以上前のことで、ニッポンジンハ反省シロと
責められることに、実は僕らの世代は
うんざりしているのではないのだろうか。

そして、普段は投票も政治意識もないのに
自分の国の国旗を燃やして気勢を上げるデモ参加者の
映像を見ると、不快感が僕には確実にある。
ほかの国が住んだことある訳でもないのに、
自分の国のことはそんなに好きではないくせに。
(団塊世代が食い散らかしたあらゆるツケを何で僕が払わなければいけない?)

それはクールなことではない。
そして僕は、取り立てて右翼でもない。
それこそ、サッカーで自分の国が勝つと
スポーツバーで見知らぬ人とハイタッチする
メンタルティと至近だ。
今の日本における平均的な「アイコクシン」とは
そのレベルではないのだろうか。

「亡国のイージス」を観て。「守ル」意味に関する雑感。

またまた今更ながら。


「亡国のイージス」を観た。2005年公開。

亡国のイージス
亡国のイージス

海上自衛隊・航空自衛隊による史上初の全面協力の映画らしい。
 
 〜あらすじの抜粋〜

 東京湾沖で訓練航海中の
 海上自衛隊・最新鋭イージス艦「いそかぜ」が、
 副長の宮津弘隆二等海佐(寺尾聰)や
 某国対日工作員のヨンファ(中井貴一)らによって乗っ取られた。
 その彼らの切り札は、わずか1リットルで
 東京を壊滅させることのできる特殊兵器「GUSOH(グソー)」。
 艦を誰よりも知る先任伍長の仙石恒史(真田広之)は、
 「いそかぜ」を取り戻すべく、たった一人で
 艦において彼らと戦いを挑む。
 艦内に残る謎めいた若者とともに。
 果たして東京と「いそかぜ」の運命は・・・・。
 
 
まず、面倒なテーマを論じる前に。
これは素晴らしいエンターテイメント映画だ。
最後まで観る者を釘付けにする。

沈黙の戦艦
沈黙の戦艦

とプロットは似ているが、個人的には「亡国のイージス」の圧勝。
感情移入の可能度と、観る側に問いかけるテーマの重さが全然違う。
(ニホンジンにとっては)
 
 
以下、面倒な感想。
 
この映画冒頭部分は、ある防衛大生による論文の
ナレーションから始まる。
 
 「イージス。すなわちギリシャ神話の
 無敵の盾の名を持つイージス艦こそ、
 専守防衛の最も具体的な形でさえある。
 しかしあえて言う。国としての有り様を失い
 語るべき未来の形も見えないこの国を守る”盾”に
 なんの意味があるのか。
 現状のままでは、それは守るに値する国家を失った
 まさに亡国のイージスでしかない。
 この国の未来を背負う無垢なる命たちに今、
 我々は何を手渡し、何を託すことができるのだろうか
 この日本という国に。
 彼らの受け継ぐに値する国にするために
 我々は何をなすべきであろうか」
 
(まず、語る前に。)
僕は福井晴敏によって書かれた原作を読んでいない。
念のため。
 
余談・「wikipedia」によると
 「某国対日工作員」は原作では「北朝鮮工作員」だったらしい。
 
別に僕は極右ではない。
ただ自分が偶然にも生まれ育った共同体である「コノクニ」を
見下されたり、愚弄されたらいい気分はしない。
それは自分と仲がいい友人を
馬鹿にされたときの感情に似ている。
しかし残念ながら、
僕は馬鹿にした当人と腕力を競っても惨敗だろう。

しかし、クニ同士ではそうはいかない。
喧嘩して惨敗しましたでは、済まされない。
スポーツなら、ともかく。

クニが「腕力」で負けるということとは、
個人のそれと意味合いが違う。
その結果は、共同体の所属員全ての生命・財産の存亡に及ぶ。
重みが違うはずだ。
多分そのために、
ニッポンには「防衛力」というものが必要なのだろう。
他の国も同様なはずだ。

乏しい歴史観でから言うと
1945年からコノ国は、
恐らく所有して当然であろう、「共同体を守る力」を
自ら敵視し、制限してきた。
日米安保の傘の下、グローバルな意味での冷戦は切り抜けたが
極東アジアでの冷戦構造は、終わらなかった。
それでも「自ら敵視し、制限」することは変わらなかった。
まるでそれが、「自分ハ平和主義者デアル」ことの証明のように。
極東アジア特定国家群に、
ひたすら謝罪していることのアピールによって
ある意味で必要悪である、「共同体を守る力」とその意志を
ひたすら放棄することに終始した。

映画中、副長の宮津弘隆二等海佐らは、
「某国対日工作員」によってそそのかされた
「亡国への危機感」によって反乱を起こす。
フィクションの中ですら、
「亡国への危機感」は共同体に所属する
自己から発したものではなかった。

「某国対日工作員」は、「いそかぜ」を阻止しようとした
護衛艦をミサイルで撃沈したあとに、独白する。
 
「よく見ろ。日本人。これが戦争だ。」
 
60余年、平和を維持できた功績は大きい。
しかしそれは
危機意識を捨てても良いこととは、イコールではない。
そう思う。

宮津弘隆二等海佐は、内閣に言い放つ。
 
 「撃たれる前に撃つ。それが戦いの鉄則です。
 それができない自衛隊に国を守る資格はなく、
 それを認められない日本に国家を名乗る資格はない。」
 
戦いを好む者はいない。
死地に行きたがる者だっているわけがない。
しかし外交の最後の、本当に最後の手段としての
「センソウ」のその存在は無視してはいけないだろう。
多分。
ついこの間だって、国際法的には
コノクニの領土である(と思う)、島付近の海洋調査問題で
北緯38度線下の半島国家との、
物理的衝突寸前まで可能性があり得たのに。

「日韓協議不調 次のシナリオは調査強行?海自出動?」


そして、北緯38度線上の半島国家はこんなことを画策している。

「竹島調査粉砕へ共同措置を 北朝鮮、南北会談で提案」

そして、巨大な大陸国家はニッポンの防衛に
いちいち批判するのに、自らの軍事費は、
公表数字だけでも、毎年毎年「二桁成長」。

「中国の「国防費」は謎だらけ」

残念ながら、未だにコノクニを取り巻く情勢は
安全でもなく、平穏でもない。
コノクニを取り巻く国々は、
「共同体を守る力」とその意志を捨てた途端に
牙を剥くだろう。
残念ながら。

せいぜい僕は、自分の払う税金をアンゼンのために
有効に使ってくれることを願うぐらいしかできない。

「亡国のイージス」を観て
僕はそんな取り止めのないことを考えた。

 「イージス、すなわちギリシャ神話の
 無敵の盾の名を持つイージス艦こそ、
 専守防衛の最も具体的な形でさえある。
 しかしあえて言う。国としての有り様を失い
 語るべき未来の形も見えないこの国を守る”盾”に
 なんの意味があるのか。
 現状のままでは、それは守るに値する国家を失った
 まさに亡国のイージスでしかない。
 この国の未来を背負う無垢なる命たちに今、
 我々は何を手渡し、何を託すことができるのだろうか
 この日本という国に。
 彼らの受け継ぐに値する国にするために
 我々は何をなすべきであろうか」
 
語るべき未来の形が見えなかろうと、
その語るべき何かとやらを、探すための時間を
確保するための「共同体を守る力」は
コノクニでも、必要なはずだ。
 
 
=======================

 真珠に豚、湾岸戦争、
 まだ反省の色褪せた半世紀の終局、猿の惑星
 覚醒された愛国精神の自由、独立と平和に
 争いは必然か?当然だ!
 しかし単に血を流し水に流す為や、
 贅沢な体たらくな人間の為では無く、
 戦争という名の狂騒曲が悪戯に人を殺め、
 ひたすらに人の過ちを否定する太陽の国は
 陽炎の様に消えていくのは当然だろう
 偽の正義の犠牲になった国民や
 大和魂は何の為にあらんや
 子供騙しの古い夢を覚まし、
 異色/移植の才能日本の顔整形外科医、
 切り拓く新しい世界

=======================


Pearl Harbor
〜shing02「Perl Harbor」〜

 



VOTE PEOPLE(「PS」追記)

今日は選挙だ。





僕は「有権者」になって約10年以上経つ。
国政選挙に関して言えばわりと、律儀に投票には行っていたはずだ。
いつも消去法で選んでた気がする。
かといって、
投票にも行かず政治にブーブー言うのもフェアじゃない。
そんなコドモっぽい意地で嫌々投票所に足を運んできた。

開票速報を見ていつだって思うのは、無力感だ。

「あなたの一票が政治を変えます」

よく聞くフレーズだ。
しかしでも一回でもいい、その実感を得たことってある?

何10万票もの集計の中の僕の一票。
何万票もの差をつけて、当落する候補者。

「政治を変えるのはみなさんです」

まあ、民主主義の理屈としてはね。
しかし、僕の意思である一票は
どこにあるんだ?
それは集計データのどこかに埋もれてるらしい。
顔も名前も知らない選挙管理委員が
処理したらしい。
その集計の結果、議員は赤絨毯を踏んだらしいし、
踏めなかった者もいるらしい。

おかしな話だ。
まだ、サッカーの全日本代表を
バーのスクリーンで観戦してる方がまだしも
リアルティがあったな。
そこにはグラス片手に友人と、
または見知らぬ誰かと歓声をあげ、
プレーヤーの動作に一喜一憂し、時には抱き合うことすらある。
彼らがプレイする競技場とは
はるか何千マイルも離れた場所で、
僕らの歓声なり、悲鳴なりなんか聞こえるはずなどないのに、
まるで自分が勝ったかのように
自分の応援がそのチームの勝利に貢献したかのように
僕らは、移入する。一体感に酔いしれる。
両手が舞う。下手すりゃハグさえする。

政治だってサッカーだって
僕らの手の届かないところで
繰り広げられているのに変わりはないのに。

政治とサッカーの違いとは何だ?
もしかして一体感と、感情移入の有無?

選挙なら、もしかしたらそれは候補者の選挙事務所にいて
支持者とTVの当確速報を、手に汗握って見守れば
得られるのかもしれない。
そうすればいいって?
馬鹿な。
サッカーの観戦はせいぜい2時間の拘束で済むが
選挙や政治はそうもいかないだろう。
有権者全てが、どっかの政党のどっかの誰かである候補者の
事務所に入り浸って、一喜一憂する。
それはそれで狂った光景だ。

今に始まったことじゃないけど、
投票したい党がない。
嫌いな政党が多すぎる。
「ニッポンダイヒョウ」って、キーワードだけで
一体となれるサッカーとはえらい違いだ。
しかも、「政治」のリアリティを感じる時は
往々として、マスコミのイメージを真に受けた時か
悪策が施行されたときだけだ。
やれやれ。

政治はつまるところ「数」で勝たないと実効力はないので、
政権を担当できるような勢力を曲がりなりにも持つ
政党に入れたい。
候補者のパーソナリティなんて、よっぽどじゃないと
考えない。
そんなもの、「数」の前では無力だ。
自分の一票が「死に票」になることを承知で
弱小候補&政党に投票するために、日曜日に投票所に行くのも
馬鹿馬鹿しい。

「政権交代」の可能性。
大抵の場合(今現在)、それは自民党と民主党の2者を指す。
しかし、律儀に「マニフェスト(選挙公約)」を読んでも
違いが明確じゃない。
マス受けしようとすればそうなるのか?
せいぜい、違うのは改憲に前向きか否か、
特定アジアに毅然たる態度をとるか否か。
致命的なのは、両党とも”改革”
(大体、長らく政権を担ってきた与党が「改革」を旗印にしてるのは過去の否定では?)を旗印に「(課題)を解決します!!」とはいうが、
具体的な方法論も、ロードマップもない。
課題の羅列だ。
今考えれば、小泉純一郎は(政策の良否はともかく)
「分かりやすかった」。
”郵政民政化化か否か”、”改革か否か”という
単純なイメージの二者選択に分けて、
まんまと勝ち得た。
まったくたいしたもんだ。
僕はそれまで「自民党に投票する奴」のイメージが沸かなかった。
いつのまにやら竹中平蔵とのコンビで新自由主義が席巻し
労働者に対する責任転嫁は格差社会を拡大した。
一体、何人が追い詰められ自殺したのか。
彼我の差など僅かなものだ。

失言オンパレードでマスコミが踊る現内閣。
まあ、発言した奴の人格は疑うけど。
より最悪なのは、↓

世耕弘成(安倍内閣の内閣総理大臣補佐官)
格差社会の負け組みについての発言

「貧困の再生産など起きない。彼らは子供さえ持てないからいずれいなくなるだろう」
2006年9月12日(火)発売の週刊SPA!2006年9月19日号(49ページ)のインタビューより
(参照:wikipedia)

素晴らしい本音だ。死にたくなるね。

自民党のマニフェストを見る。
(・・・155の約束?)


かといって民主党
(小沢一郎のキャラに頼りすぎだ)

民主党が参院選を勝てば、株価が下がる(らしい)。
自民党が勝っても、なし崩し的に僕らの首は絞められ続けられるだろう。

政治に期待するな。分かってるけど。
要するにクニごと貧乏になるか、一部の人間が貧乏になるか。
その選択なのか?

「無党派層は寝ていてくれればいい」。ある総理は言った。
素晴らしい本音だ。
クニやら政治になんか、信頼したことなんか一度も無いけどさあ。
ホント、寝てたいよ。マジで。

あ。東京は今、雷が鳴った。
投票率下がるな。
あー、徒歩5分のところにある、投票所の小学校に行くのが
面倒だが行って来よう。



PS・・鬼の首取ったように騒ぐ民放。
   自民惨敗。でもこれは「民主大勝」じゃ
   ないんだろうなあ。 
   「死に票」を避けようとしたら、
   他に投票するとこ、正直無いんだろうなあ。
   一時期の社会党(現・社民党)を思い出す。

   ちなみに、僕の選挙区(東京選挙区)は
   何かと候補者の個性の強いメンツだった。
   「ネ申」こと、又吉イエス(又吉光雄)から、
   「超」極右政党、維新政党・新風から、
   元・HIV訴訟原告・川田龍平氏から、ドクター・中松まで。

   あ。自民から出馬した
   元・テレ朝アナ、丸川珠代が当選してる。
   しかも、東京選挙区では自民では唯一の当選者だ。
   選挙権もなく、3年間、投票に一度も行っていない政治家って。。
    *NYから帰国後約3年間転入届を提出しておらず、
     2007年4月20日に区役所に提出したものの、
     転入3か月以内は選挙権がないため
     上記、リンク参照。     

    *なお、上記の情報は、2007年7月30日1:50現在。
     東京都 : 開票結果 : 参院選2007 : YOMIURI ONLINE(読売新聞
     より。


   世耕弘成、当選だってよ。マジかよ。。。。。
   横峰パパ、当選だってよ。マジかよ。。。。。。



便所の落書きジャーナリズム。〜四国の事件とネットの言説〜

僕はTVは、ほぼ見ない。ニュースは嫌々観るけれど。


ニュースだって、あからさまに扇情的(センセーショナル)な演出が、
透けてみえる。そしてしばしばそれにまんまと乗せられてしまい、
怒りをあらわにする自分を少し後悔する。
しかし、「報道」、「ジャーナリスト」は手法として
頻繁に感情に訴えるのだ。
「主観が存在しない報道」などない。
それぐらいは理屈じゃ知っている。
だけど、限度と言うものがある。
モラルと責任。自制心と品位。
「国」の法規制による「報道ノ自由」の危機を
声高に叫ぶその前に。
そして、「社会の木鐸」と自ら誇るのならば。

「○階堂ドットコム」(ttp://www.nikaidou.com/)という、
サイトがある。
サイト管理人は自称・「フリージャーナリスト」(らしい)。
梨本勝(顔を見るだけで反吐が出る)周辺とつるんでいるらしき、
この管理人、HN・「二階堂豹介」が
左足で書いたような記事は、一体何なのだろう?
題材は、香川今年11月中旬に発生した、
幼児2名を含む3名が行方不明になり、
最後に遺体で発見された痛ましいあの事件。
「報道」側には大きな非があると思う。
被害者3名の父でもあり孫でもあった人物が、
さも「ハンニン」だとばかりに、TV「報道」は扱った。
断言こそしないが、恣意は全速で走っていた。
観てはいないが、ワイドショーレベルなら、
もっと無残な内容だったのではないのだろうか。
某巨大掲示板を批判できる立場と品位を保っていたのだろうか。
そして結局、まったく別の容疑者が逮捕された。
「断言してるわけではないので謝罪もしない」とでも、
言わんばかりに、「報道」はまるで無かったことの如く、
口をぬぐった。
松本サリン事件の報道被害は、彼らにとって
すでになかったことになっているのだろうか?

その人物は名前と人によっては奇矯と取れなくも無い
言動と風貌から、ネット上では「画伯」と呼ばれていた。
彼にはなんの感情移入も無い。
屁理屈を言えば逮捕された別の容疑者への判決が確定しない限り、
法的には事件への関与も完全否定される訳ではないと思う。
別に二言目には「人権」「人権」と鳴く、
左巻きの法曹関係者気取りのつもりはない。
「右」(僕を含めて)も、「左」も馬鹿は馬鹿だ。

僕はこの事件自体、友人からのメールで知り
検索していたところこのサイトを偶然発見した。
だがしかし、「二階堂豹介」という
自称・「フリージャーナリスト」(らしい)
人間による記事にヒットしたとき、
頭が真っ白になった。
以下はその記事の引用。


「■ 犯人はおまえだ! 」(ttp://www.nikaidou.com/2007/11/post_762.html)


>「祖母と幼い姉妹行方不明」事件だが、
>どう見ても父親が犯人臭い。
>警察庁は畠○鈴○(3amop注:「○」は加筆。)で懲りているだろうから、
>(略)「がっちり証拠を固めて年明けにでも逮捕しろ」と
>指令を出しているに違いない。

根拠が脆弱な先入観に基づく憶測。
「裏付け」を取らずに"臭い"、"違いない"とまで、
踏み込める「ジャーナリスト」とは?

>大体父親のくせに、事件発生当初、
>「生きていても死んでいても早く帰ってきてくれれば・・・」などと
>言っていた。父親ならばそんなことを言うわけはない。
>「死んでいると知っている」から、そんなことをいうのだ。

全て「二階堂豹介」個人の感性が
起因となった主張。


>それにしてもあんな顔つきの奴は間違いなく犯罪者の顔だ。
>少なくとも利口ではない。IQの低い顔、といえばいいだろうか。

恐るべき断定。「少なくても」以降の
文言だけで名誉毀損ではないのか。
顔つきだけで「犯罪者」と断定する「ジャーナリスト」?
井戸端会議以下の発言だ。

>「ボ、ボ、ボクが殺ったんだナ。パチンコにいくカネが欲しかったんだナ。」

ハンディキャップを背負う者と、同姓同名の画家を完全に「ナメて」いる。

>日本中のかなり多くの人が、あの父親が犯人だと思っているに違いない。

何故、自称・「ジャーナリスト」の根拠無き憶測が
「日本中のかなり多くの人」に拡大適用できると思えるのか。


そして、「ジャーナリスト」の名文は「画伯」以外の犯人が捕まった
11月27日に極彩色のクライマックスを迎える。


◎「■ この際はっきり言っておきますが 」
(ttp://www.nikaidou.com/2007/11/post_772.html)


>謝罪しろだの賠償しろだの、朝鮮人みたいなことを
>言うバカがメールしてきてウザくなってきた。

「ジャーナリスト」が、根拠不明の「朝鮮人」差別か?
僕にも、少なくてもクニとしての特定アジアには
節度があるとは言いがたい先入観があるが、
一体「バカ」はどっちなのか。

>たぶん2ちゃんねるからわいてきたクズとサブプライムだと思うが(笑)、
>まぁそれもいいでしょう。

「サブプライム」(低所得、破産歴等で融資時等において信用度が低い階層)
を使う必然性も理解しがたい。
覚えたての単語を使いたかったなのかも知れない。

>そもそも、おまえらは関係ないだろうと。うちは許認可事業じゃないし、
>俺がどう思って何を書こうが俺の自由。
>個人的に何を思おうが自由だろ。

公の場で、思慮も無くさらけ出してることが由々しきことであり、
「許認可事業」云々ではなく、モラルのレベルの話だ。
便所の落書きと、「ジャーナリスト」を名乗り公たる
ネットに上げる差も分からないのだろうか?

>仕事もせずパチンコしている奴なんか、犯人だと思われて当たり前だろう。

この「ジャーナリスト」が、どれだけの「仕事」をしているかは知る気もない。
しかし仕事に就かずパチンコをすることは、
いつから犯罪を行ったと判断するに足る行為となったのか。
年金暮らしの老人がパチンコ屋のドアをくぐれば、
それだけで職務質問を受けるに値するのか。

>日本国憲法に定められた義務を
>果たしていない人間のことをそう思って何が悪い。

 憲法の規定では、労働権の保障と対応して、
 一種の「精神的規定」にとどまっており、
 国民への強制労働を許容するものではなく、
 違反者に対する具体的な罰則を課する性質のものでもなく、
 金利生活者の存在を禁止するものでもない。

 「勤労の義務」
 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A4%E5%8A%B4%E3%81%AE%E7%BE%A9%E5%8B%99)
 

>でも、うちの書き方はうまい。微妙に断定していない(笑)。

・・・・。これは世間一般に「断定」とされるのではないのか。↓

「■ 犯人はおまえだ! 」(http://www.nikaidou.com/2007/11/post_762.html)
>>それにしてもあんな顔つきの奴は間違いなく犯罪者の顔だ。

>もちろん、確定だったら「父親が犯人」と書くが、
>確定でないからああいう書き方をしているわけだ。
>読者が勝手に誤解したのは俺の責任ではないからな。

読み手に解釈の自由と、
「誤解」の可能性があることは事実だ。
だが、「ああいう書き方」とは、
「誤解」の可能性を理由にできるような
そんな微妙な表現だったか??↓

>>それにしてもあんな顔つきの奴は間違いなく犯罪者の顔だ。


(略)

>というわけで、うちはエントリも消さないし、謝罪なども一切しない。
>本人を煽るなら煽ればいい。俺はすべて受けて立つ。
>それが言論の自由と責任である。


自称・「ジャーナリスト」の、
名文としては記念碑モノだ。是非残して欲しい。
しかし謝罪はともかく「言論の自由」は、

 日本国憲法第12条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
 国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、
       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

という前提があって、

 日本国憲法第21条
 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

保障されているように解釈ができると思う。
報道被害・憶測報道という「濫用」を
犯した意識はないのか?
この素晴らしき名文は「公共の福祉のため」なのか?

>そして、本件はめんどくさいのでこれでおしまい。
>あとは相手にしないのでご了承を。

「ジャーナリスト」が反論をシャットアウトし、
終了宣言できるコマンドはどのような根拠を以て
誰が与えたのだろうか。

>本人を煽るなら煽ればいい。俺はすべて受けて立つ。

「責任」、「俺はすべて受けて立つ。」・・・。
どこが「受けて」るのか。
終了宣言をしているではないのか?
同じ記事内で自分が書いたことすら、
忘れてしまうほどに「ジャーナリスト」は
「仕事」に忙殺されているのだろう。

>理由は上記に書いたとおりで、

理由にすらなってない。
「上記」の「理由」とやらは。
理由にすらなってないその理由は上記に書いたとおり。

>「あんたら関係ないだろバーカ。だから貧乏人なんだよ」ということです。


もし当該事案の当事者か否かで、関係性を図るのなら
この「ジャーナリスト様」にも、無い。
「ジャーナリスト様」が読み手を無視しして
「あんたら関係ないだろバーカ。」と、言うその瞬間、
名文はチラシの裏と化す。

>だから貧乏人なんだよ

「だから」は一体どこに繋がる言葉なのだろう。
???????????????
うぇrrっゆうわなにをhjふじこry。

・・・・・・・。
経済効果はさておき、ネットもまた「マスメディア」だ。
しかも、wwwにおいてはIBMのサイトも個人のブログも
極・基本的な機能要件は並列だ。
マスに意見・主張を伝える媒体を、巨大な企業群が
独占していた時代は約10年前に終わった(はずだ)。
ある人は活版印刷の発明以来の大事件と評したらしい。
インターネットに接続さえできれば
誰でも何でも言えるセカイ。
純度100%の善男善女の集団も関係性も
セカイにはない。当たり前だ。
ベストなどない。ベターを選ぶことしかできない。
しかし、ネットの匿名性と非・保存性に甘え、
(匿名性に関しての批判は僕にも当てはまる)
自称・「ジャーナリスト」が、
救い難い先入観、的外れな悪意、
そして幼稚で非論理性に満ちた下卑な「名文」を
書き散らし、責任も自覚せずそ知らぬ顔をする現状は、
本当に「活版印刷の発明以来の大事件」なのか。
単に便所の落書きが、グローバルワイドで
電子化されただけではないのか。

僕らは下世話な話を好むが、
ここまで浅ましい言説を目にしてしまったのは久々だ。
いっそ、すがすがしい。
これで、「ジャーナリスト」として通用するのなら
世の中、案外希望がある。
自称・「ジャーナリスト」が敵視する、
「2ちゃんねる」の悪しき部分と下馬評ではタメだ。


 3amop後記:「ジャーナリスト様」が忌み嫌う
 某掲示板に書いたものを、極力穏便な表現に加筆修正。



Talk About RELIGION......

あいも変わらず僕はいんちきクリスチャン。


文句があるなら、自我も芽生えない小学校三年に、
ただ母がクリスチャンだから、
それだけの理由で「信者」たる存在にした母にどうぞ。
じゃあ、なぜ今も教会に行くって?
幾人かの親しき友人と、幾人かの敬愛する先輩がいて
幾人かのおバカで可愛い後輩と会いたいだけさ。
少なくても今の所は。
では、文句のある人に問う。
「信者」じゃなきゃ、その門をくぐれない宗教団体は、
意味はあるのか?機能するのか?
「献金」だか「お布施」だか、呼び名は様々だが
団体の維持に不可欠なのは、非営利・営利を問わず
「オカネ」と言う一面に目を伏せないで、
それでもなお、奇麗事を言えるのならば、
もはや論議を尽くす意欲は欠けてしまう。
是非、自分を鏡で見て欲しいものだが。
「献金」だか「お布施」を払えば何をしていい訳だなんて、
毛頭思ってはいない。念のため。
そして、価値観の異なる他者を排除し始めたいのなら
どうぞ、GO TO YOUR カルト WAYS.
せいぜい、尖らせた傘で毒性の物質満タンの
ビニール袋を刺さないように。

今日も礼拝(カトリックで言うところの「ミサ」)に参加し、
ダラダラと友人と気が触れたような会話を楽しみ、
いつの間にやら15:00。
友人K.R(神学校生)が参加する屋外での日曜学校に巻き込まれる。
終われば16:00。
今度は夕礼拝(カトリックで言うところの夕方版「ミサ」)。
最近はいつもそんな流れ。

おとなしく座ってると、
司会担当の後輩が「じゃあ、誰か"証し"をお願いします。」と言い出す。

あ。目が合う。
うそん。
まずい。帰ればよかった。

*「証し」=(前のエントリ「駄目クリスチャン地獄変。」
      でも書いたのだが僕も未だによくその定義が分からない。
      要するに「私は最近いかにカミサマとやらの存在を感じたか」を
      集った人間の前で披露するイベントらしい。
      いかにそれを僕に振ることが、的外れなことか
      お察しくだされば幸いだ。
 
「××(3amop本名)さん、聞きたいわ。おやりなさい。」
 
うそん。うそん。
悪意無き、御歳を召されたお嬢様に促される。
「悪意無き」ゆえに、最も面倒なパターンだ。
司会の後輩も、本日が司会初体験。
しかも段取りを誰も教えてくれなかったので
テンパッてたのだそうだ。
そういうことになった時の根回しの必要性とか、誰か教えてやれよ。
図体だけでかくて情報伝達の悪い、「誰かがやってくれる」病の典型じゃん。
いつから大企業病になった?

ちなみにうちの教会は、キリスト教の信徒数が日本国内に限ると
約200万人程度という状況のなかでは、かなり人的規模の大きい方だ。
僕の所属していることになっているプロテスタント(新教)以外、
カトリック等も含めてだ。おそらくは。

「証し」とやらを自発的に話したがる、"優等生クリスチャン"以外しか
夕礼拝(カトリックで言うところの夕方版「ミサ」)に参加してなかったら
誰かが「その場を取り持つために」喋るのだろう。
うるんだ哀れな後輩の目と合ったこと、御歳を召されたお嬢様の
無茶フリが勝敗を決する。


ほんっとうに仕方なく、前に出る。
壇上には立たない。
カミとやらの代理人を気取るつもりなどない。
メンツを見渡す。まあ、いいか・・・。

まず、「証し」とやらの定義を知らないことを明らかにし、
「今考えてるカミサマとやらについて」の私見をもって
それに代えさせていただくことを、確認する。
まずはアウトラインから。


「近代以降、ヒトは自分で考え、自分で道を選び、その結果を受容する」。
そのことを前提に動いてきたように思える。
それは「自我の確立」とほぼ同義だと僕個人としては認識している。
                 ~~~~~~~

「自己責任」≒「自我」。
そして、現実に社会はそう動いていると、僕個人は思う。
グローバル化なんかそのいい証左だ。
グローバル化において経済は容赦なく、個人の生活を左右する。

(例:)

「年金は払われるかどうかすら分からない。」

「野垂れ死にしたくなきゃ、自分で何とかしろ。」

「だからこの超・低金利時代に貯金だけなんて馬鹿げてる。運用しろ。」
(国を挙げての賭場開帳だ。)

「ただし、結果は自己責任だ。破産したら首でも吊れば?」


我ながら大仰だと思ったが、プレゼンの練習と割り切る。
仕事なら金でも取ってるな。


これだけ「自己責任」≒「自我」を否応もなく求められ、
今もさらに強要される時代。
例えば超・就職氷河期を、僕は誰かの助けなり助言なりなんなり、
(断じてそれが「カミサマとやら」とは実感できない。)
それと共に、何とか死なずに生きてきた。

キリスト教に限らず、宗教とは「全能の」カミサマとやらに
その程度の差はあれども自我を預けることだと個人的に考える。
                     ~~~~~~~~


この辺で、参加者のメンツの表情を見る。
どこまで、まともに聞いてるのかは知らないが
神妙な顔だ。別に期待もしていない。
話を続けよう。
アイスブレイクに司会担当の後輩へ、
「あと何分喋ればいいの?(笑)」と聞くが
「い・いや、お好きなだけ。」と、
お堅い返答。マジですか・・・。
しかし、この後の予定ではUさんの
お話があるはずだ。
そんなに時間はないはず。

しかしUさんは、つい数時間前に
 
 「取扱説明書読んで、ググって、自分の環境と問題を
 把握することもせずに"何か分かんないけど、直せ。"とかいう奴は
 氏ry」

 
という毒舌トークで盛り上がった当の相手なので、
とてもお話を真顔で聞ける自信は無いのだが・・・。


嘆息し、赤のカーディガンとマフラーを
さっきまで自分がいた席に半ば投げやりに放る。
いささか、上気してるようだ。
話を続ける。


このセカイの流れの中で、自我を預けると言うのは
「全能の」カミサマとやらが、生活保障でも
確約してくれると信じているのだろうか?


 もし神が全能ならば、「自分の言うことを聞かない女」を創造できるのか?
 可能ならば、全能じゃないし、不可能ならばやはり全能なのではないじゃないか。
 
そんな、どっかで読んだジョークでも言えば良かった。


かつて、とある新興宗教があった。
彼らは簡単に、自らの手で自我を導師に預け、
自らの手で様々な方法で、幾人ものヒトを殺めた。
「救済」という口当たりのいいコトバで、自らをごまかして。
その一連の事件について敬愛する作家である、村上春樹が
2つの著作を残している。


アンダーグラウンド (講談社文庫)
アンダーグラウンド (講談社文庫)
村上 春樹

と、

約束された場所で―underground〈2〉
約束された場所で―underground〈2〉
村上 春樹

だ。

前者・「アンダーグラウンド」は、とある新興宗教が引き起こした
テロの被害者へのインタビュー集。
後者・「約束された場所で―underground〈2〉」は、
とある新興宗教に所属した複数の(元?)信者にインタビューしたものだ。
前者に怒りを覚え、後者に暗然とした。
その読書体験、そして十代最後半の僕の宗教観に、
実際に「とある新興宗教」が引き起こした「救済」という名の「テロ」と、
その噂及び報道は大きな影響を及ぼしていると思う。
都の職員が爆発物で指を失い、新宿駅で毒性の物質が発見され、
横浜周辺でも、「次はここ(横浜だ)と言う噂」が飛び交い、
実際異臭騒ぎがあった気がする。曖昧な記憶だけれども。
音楽雑誌のコラムで、「この危険な噂が飛び交う中、敢行した」、
とあるクラブイベントのレポートがあった覚えがある。
「命知らず」とまで評されていたはずだ。
クラブという密閉空間の中、尖らせた傘で
「毒性の物質満タンのビニール袋を刺」したら、
さぞ、多くの「救済」が達成されたことだろう。
だからこそ、自らの手で自我を預ける「宗教」は、
危険かつ、生理的に警戒するのだ。

時計を気にしながら、青臭い話は続く。
結論を探しながら。

「Free HUGS」(フリー・ハグズ)〜補記・BEAUTIFUL DANCERS!!@都内某公園

FREE。フリーの野外パーティ。


「FREE」と言う言葉はいろいろなニュアンスを含む。
「自由」。

または、「無料」。
そして、「誰とでも分け隔てなく」。
果ては、「CHINA FREE」などという用法もある。
この場合は、「中国製原材料を使用していません」の意味。

「China-Freeとは - はてなダイアリー」)参照。

「Free HUGS」(フリー・ハグズ)という
奇妙な "キャンペーン" がある。

 「キャンペーン [campaign]」
 大衆に対する、一定の目的をもった
 各種の組織的な運動や働きかけ。

Goo 辞書より。三省堂提供「大辞林 第二版」)

「Free HUGS」(フリー・ハグズ)の経緯と趣旨は、
こちらを読んで欲しい。

街頭で全くの赤の他人と、
「誰とでも分け隔てなく」、ただハグ(抱擁)する。
何の代価もなく、ただハグする。本当にそれだけ。
見かけた方もいらっしゃるかもしれない。
その瞬間を、誰をも分け隔てしない「暖かい感情」として
貴重なものとと考えて、その連鎖を望む。
原則はそんな捉え方でいいと思う。
便宜的に"キャンペーン" としたが、
正確には「組織的」というほど、
確固とした団体がある訳でもないらしい。


◎Free Hugs Campaign. (music by Sick Puppies.net album out)



正直に言うが個人的には胸を打つ映像だ。
「某公園」にも、「FREE HUGS」の
ボードを持つ若者がいた。


FreeHUG_BOAD


「誰とでも分け隔てなく」、ただハグ(抱擁)する。
それは(少なくても)大変まれで、暖かく貴重な瞬間だ。



「清潔クラブ─清潔について語ろう」
というブログで
興味深い記事を見つけた。

2007/03/14 のエントリの主旨を、
僕なりに要約する。乱文御容赦。
 
 
 「フリーハグ(freehug)」という行為に対し、
 「あなたは誰とでも、たとえば相手が"路上生活者"
 (3amop が単語置換)でも
 フリーハグできますか?」と、疑問を投げかける。
 そして最近のフランスにおける、軽く抱擁し合い、
 互いの頬にキッスし合う挨拶・「ビズー」と対比する。
 ある時、汚れた身なりで、体を洗ったこともないような路上生活者」と
 ビズーをする光景を(ブログの作者は見、)感動を覚えた。
 しかし、フリーハグをしている今の日本人にその勇気があるのか?と問う。

 「フリーハグの運動が、人間関係の回復を目指すならば、
  やはりそこまで行くくらいの気構えが必要でしょう。
  どんなに不潔な人間とでも抱き合えるだけの意志がなければ、
  単なる理想で終わってしまいます。」

 一方、フランスにおけるビズーは相手を選ぶ。
 親しい相手でなければ、普通はビズーをしない。
 (恐らく前述した、見知らぬ「路上生活者」とのビズーは当然、稀のようです。)
 そして日本人、特に男性にとってもビズーは非日常的な行為だ。

 「しかし、彼女たち
(↑ 3amop 注 恐らく、フランス在住の日本人女性か)に
  とっても、それがやはり非日常的な
  よそゆきの行為であることには間違いありません。
  その証拠に、彼女たちが日本人男性とビズーするところは
  滅多に見ないからです。」

 同様にフリーハグも非日常的な行為だ。
 フリーハグのような非日常に、
 段階を超えて飛び込むには「無理があるのではないか。」

 「人間どうしの生きた触れ合いを回復するためには、
 まずは日常生活での身体的接触を可能にする段階が
 必要なのではないか、と私は思うのです。」


                      (要約終わり)
 
 
 
◎FREE HUGS in JAPAN(Tokyo) part1 フリーハグ


 

 
 
3amop 注:申し訳ありません。
以降の記事をこちらの操作ミスで誤って削除してしまいました。

以下、記憶に基づく要約です。

2/11に都内某公園で行われていたダンスパーティに参加する折、
その近辺で行われていたフリーハグを僕が実際に体験してみました。
しかし、
「笑顔と共に抱き合った瞬間とそれに至るまでは
確かに素晴らしい瞬間だったが、
意外とアッサリ、その男性はスッと、静かに身を引き、
またボードを掲げた。少し拍子抜け」し、
「人間関係の回復」という理想を実現することなど
最初から「思っていないように感じ」ました。

また、その後のフリーの野外ダンスパーティにて、
いかに自分とダンサー達が、
酒とオンガクでこの世の天国になっていようと
僕自身は、
「見も知らぬ女性をハグすることは、失礼に当たる気がする」気がしました。

そして香山リカさんの記事を引用しました。

>精神科医で若者文化に詳しい香山リカさんは
>「人と交わりたいが、踏み込むのは面倒という心理が強い、
>平板な現代を象徴する現象だ」と
>厳しい意見だ。

引用:
(見知らぬ人に「抱き合おう」 フリーハグ若者に流行
 一瞬の触れ合い求め? ネット通じ広がる)

http://www.nishinippon.co.jp/news/wordbox/display/5086/


しかし、上記の記事を踏まえたうえで
例え人間性の回復などという覚悟はないかもしれないが、
ハグ(抱擁)の習慣がないゆえに、
日本において非日常である、「フリーハグ」が行われていることに、
それでも何か価値を見出したい。
そのような趣旨を記述したはずです。
申し訳ありません。


JUGEMテーマ:ダンスパーティ



インド・オリッサ。迫害について。

自らのこともままならない日常だが、世界はそれと関係なく残虐で野蛮だ。


僕は名ばかりのいんちきクリスチャンだが、考えさせられる。
以下、地元の後輩T.Sからのメールの転送。


>皆さんへ
>
>インドから、どうしても日本の人たちにお祈りしてほしい内容があるので、
>メールさせていただきます。ぶしつけなお願いですみません。
>
>日本にはおそらく情報が行っていないと思うので、敢えて伝える必要があると思いました。
>世界の片隅で起きている出来事の一つと思わず、
自分の兄弟が直面している現実と考えてくださるようにお願いしたいし、
>僕もそのように考え、祈るように神様に示されています。
>
>重荷を感じた人は、祈るとともに(グループで祈ってくれるとなお感謝)、
>知り合いにもこの文章をコピペ、転送してお祈りしてもらえるととても感謝です。

>祈ってほしいのは、オリッサという州で起きている、クリスチャンの迫害についてです。
>ヒンズー原理主義者の武装集団が次々に教会を燃やし、クリスチャンを襲っています。
>教会やクリスチャンの家に火がつけられ、男性は縛られ、
>3歳以上の女性は全員レイプされてから殺され、それを男性は目撃させられてから、殺されます。
>人間が生きたままガソリンをかけられて火をつけられています。
>体をバラバラに切断されたクリスチャンもいます。犯行は計画的で、
>オリッサからクリスチャンが逃げられないように交通網も遮断されているそうです。
>クリスチャンができるのは森に逃げることだけですが、森には毒蛇や猛獣がいて非常に危険です。
>これほどのひどい迫害は、最近にもあまり類を見ないそうです。
>インドの警察や政府は、ヒンズー寄りの世論で動くので、
>事がいったん収まるまでは何の行動もおこしません。
>オリッサで始まったこの迫害は、他の州にも飛び火していて、
>デリーからそう遠くない場所でも教会が燃やされました。
>僕がいまいるデリーでいつ同じことが起こってもおかしくないそうです。

>明日、ニュージェネレーションチャーチという教会が主催する、
>この暴力問題に対して社会に呼びかけるイベントに、僕は参加してきます。
>とりなしの祈りの集会にも何度か参加しました。デモ行進も行われており、それにも参加しました。
>
>ニュージェネレーションチャーチの牧師は、
>迫害を通してクリスチャンが強められ、
>福音が広まるような迫害もあるが、
>今回のはそうではない、と示されていると言いました。
>今回のは単なる暴力であり、政府の傍観であり、
>人々の無関心であり、何より、サタンのなせる業だと。
>われわれはこれが止むように祈る必要があると。
>天使を遣わして神様がクリスチャンを守ってくださるように、
>家や家族を失ったクリスチャンたちを励ましてくださるように。
>またこのことを通して、インドという国の抱える問題の
>深い部分に神がメスを入れてくださるように、
>日本のクリスチャンのみなさんにも祈っていただけると幸いです。
>
>よろしくお願いします。
>
>
>陣内俊


参考:http://christiantoday.co.jp/main/international-news-1730.html
   http://christiantoday.co.jp/main/international-news-1740.html


宗教は、その特性として根源的に不寛容だと思う。
十字軍まで遡らなくても、キリスト教だって同じ穴の狢だ。
神の子を名乗り、別の神の子を殺すことが当たり前の世紀は
いまだ終わりを告げない。
極東の多民族国家では異なる宗教を信じることを
国家のへの反逆とまで見なし迫害する。
「極東の多民族国家」ではオリンピックを成功させるために
多くの血を流したであろう。
そしてインド。
差別はあろうけれども異なる価値観(宗教)との共存を
曲がりなりにも維持している国家だと勝手に考えていたので、
この転送されたメールは正直ショックだった。
無知だった。


 宗教別にみたインドの人口比
・ヒンドゥー教徒 80.5%
・イスラム教徒 13.4%
・キリスト教徒 2.3%
・シーク教徒 1.9%
・仏教徒 0.8%
・ジャイナ教徒 0.8%
・その他 0.6%

参考:http://www.indochannel.jp/society/religion/outline.html

所詮、宗教が十全にその最低権利を保持しつつ、「コロサレズ」にすむのは
「数」であり、権力の多寡なのか。そう思うと遣る瀬無い。
暴力の前に、特定宗教への信仰はこんなにも無力なのか。
迫害に苦しんだ信者の前に、「救い」は訪れるのか?
「祈る」という言葉にはいつも無力を感じる。昔からだ。
だがせめて祈ろう。
その実効性も価値も分からないが。



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